「ブレイクショットの軌跡」逢坂冬馬氏
「ブレイクショットの軌跡」逢坂冬馬氏
本屋大賞を受賞したデビュー作では独ソ戦で前線へと向かう女性狙撃兵の運命を、第2作ではナチ体制下のドイツを舞台に海賊団の少年少女を描いた著者。第3作となる本作は一転、現代日本を舞台とした社会派群像劇となっている。
「読者が“この作家の作風はこうだ”と判断を下すのは、デビューから3作目までだと感じてきました。だから、このまま同じ系統に進むとヨーロッパの戦争という“素材”が私の“作風”と捉えられかねない。そこで3作目は素材を大きく変えつつも作風を示し、今後も多様な物語に挑戦していくという未来への予告にもしたかったんです」
プロローグで登場するのは自動車期間工の青年。契約期間の最終日に、同僚の決定的なミスを目撃してしまう。そして本編の幕開けとなる第1章では、タワマンに暮らすヘッジファンドの副社長が主人公。以降、善良さが取りえの板金工、プロを目指すサッカー少年、不動産会社の営業マン、そして牛1頭の代わりに兵士となったアフリカの青年など、視点を変えながら物語が進んでいく。
「私が描きたいのは、人間は必ずどこかで関わり合っているということ。そして、無関係だと素通りしている事象に、誰しもが関わっているかも知れないということです。本作では、章が変わるごとに別の話が始まるように感じるかもしれませんが、一見すると交わらない人々の些細な行動も必ずどこかで影響し合い、運命を変えていきます。世界のあらゆる出来事を自分事として考えるのは難しいけれど、まったくの無関係ではないのだと自覚するだけでも、物の見方が変わるのではないでしょうか」
物語をつなぐのが、「ブレイクショット」という名称のSUV(四輪駆動車)だ。日本を舞台に世界の事象にまで存在し得るツールを考えたとき、自動車しかないと思い至ったという。
「富裕層は気軽に購入し、中古になるとようやく庶民にも手が届き、企業の道具となったり、海外に送られて戦闘に用いられたりもする。そんなさまざまな思惑が投影されるツールは、期間工が心を無にしてつくっている。一台の自動車の軌跡をたどることで、現代を多面的に描き出すことにつながりました」
ブレイクショットとは、ビリヤードの開始時にボールを散らすため行われる最初の一打のこと。物語はその場面のごとく派生しながら、登場人物を人生の岐路に立たせ、避けられない現実を突き付けてくる。
「各章ごとに異なる集団や共同体が舞台となりますが、期間工も副社長もサッカー少年も、直面する課題はシンクロしています。組織とどう向き合い、個人をどう貫くかについても描きたかったテーマのひとつです」
格差や差別、特殊詐欺に紛争など現代のさまざまな問題も、圧巻の構成力と細部にまで張り巡らされた伏線によって描き切った本作。多様な人々の絶望と共に、運命にあらがおうとする力強さも示している。
「すでに起きた事象を描く歴史モノとは異なり、闇の先にある希望も描けるのは現代劇ならでは。小さな出来事が予測不能な事態へとつながる世界で、連鎖するのは悲劇だけでなく救いや光もあることを感じてもらえればと思います」 (早川書房 2310円)
▽逢坂冬馬(あいさか・とうま) 1985年埼玉県生まれ。明治学院大学国際学部国際学科卒。2021年「同志少女よ、敵を撃て」でデビュー。同作で第11回アガサ・クリスティー賞、22年本屋大賞、第9回高校生直木賞を受賞及び第166回直木賞候補に。23年刊行の第2長編「歌われなかった海賊へ」は第15回山田風太郎賞候補となった。