著者のコラム一覧
平野悠「ロフト」創業者

1944年8月10日、東京都生まれ。71年の「烏山ロフト」を皮切りに西荻、荻窪、下北沢、新宿にロフトをオープン。95年に世界初のトークライブ「ロフトプラスワン」を創設した。6月、ピースボート世界一周航海で経験した「身も心も焦がすような恋」(平野氏)を描いた「セルロイドの海」(世界書院)を刊行。作家デビューを果たした。

下北沢LOFTではサザンのメンバーがアルバイトで働いていた

公開日: 更新日:

 フォークの西荻窪ロフト(キャパ60人)、ロックの荻窪ロフト(キャパ100人)と2軒のライブ空間だけでは、何となく不満な気持ちがぬぐい切れなかった。勃興してきたロックの波に驚嘆しつつ、背中をグイッと押された感じか……。

 全国から新しいロックバンドが、続々と東京にやって来た。もっとも、毎日ライブをやることへの経営的な危険を感じ、あくまでライブはウイークエンドだけに限定していた。昼間は「ロック喫茶」、ライブが終わって始発電車が動きだすまでは「ロック居酒屋」として営業して運転資金を稼いだ。たとえライブでお客さんが少なくても安定的に店を維持できた。

 これこそが老舗ロフトの経営哲学だった。

 1975年、渋谷の繁華街に「屋根裏」、コロムビアレコードが経営する「エッグマン」ができるという噂が流れた。

 新宿には芸能音楽事務所経営の「ルイード」や「開拓地」が、ロックのライブをやり始めた。 

 JR中央線沿線で培ってきたロック的な音楽文化も新宿、渋谷、下北沢といったターミナル駅に吸い取られていきそうだった。「何とかロック文化の第1列を走り抜けたい!」。そんな思いから<荻窪ロフト>開店(74年)の翌年、小田急線と京王・井の頭線が交差する下北沢駅に<下北沢ロフト>(写真)の開店を計画した。オープンさせるのに大借金を背負うことになったが、高度成長期後のオイルショックも過ぎ、緊張感にあふれた政治の季節も終焉(しゅうえん)し、穏やかで明るい未来が自分を含めた若者に吹いているような気がして、あまり不安や恐れはなかった。

■関連キーワード

最新の芸能記事

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    日本中学生新聞が見た参院選 「参政党は『ネオナチ政党』。取材拒否されたけど注視していきます」

  2. 2

    俺が監督になったら茶髪とヒゲを「禁止」したい根拠…立浪和義のやり方には思うところもある

  3. 3

    上野樹里“ガン無視動画”にネット騒然! 夫・和田唱との笑顔ツーショットの裏のリアルな夫婦仲

  4. 4

    巨人・阿部監督に心境の変化「岡本和真とまた来季」…主砲のメジャー挑戦可否がチーム内外で注目集める

  5. 5

    松下洸平結婚で「母の異変」の報告続出!「大号泣」に「家事をする気力消失」まで

  1. 6

    松本潤&井上真央の"ワイプ共演"が話題…結婚説と破局説が20年燻り続けた背景と後輩カップルたち

  2. 7

    “死球の恐怖”藤浪晋太郎のDeNA入りにセ5球団が戦々恐々…「打者にストレス。パに行ってほしかった」

  3. 8

    参政党トンデモ言説「行き過ぎた男女共同参画」はやはり非科学的 専業主婦は「むしろ少子化を加速させる」と識者バッサリ

  4. 9

    松本潤「19番目のカルテ」の評価で浮き彫りに…「嵐」解散後のビミョーすぎる立ち位置

  5. 10

    巨人エース戸郷翔征の不振を招いた“真犯人”の実名…評論家のOB元投手コーチがバッサリ