南正人さんに「このままでは店が潰れる」と言った
                        
 1974年秋、ナミさんが主宰するコミューン(運命共同体)に出向いた。ニシオギ・ロフトの出演交渉のためだ。武蔵野のコミューンでヒッピーやミュージシャンたちと暮らしていたナミさんは、庭の安楽椅子に座るとMを吸い始めた。
「平野さんもいかがですか?」と勧められた。
 彼とは反体制思想、ベトナム反戦など問題意識を共有していた。ライブでは、井上憲一さんのリードギターに乗せてひたすら歌い続けた。1曲に30分以上かけることも珍しくなく、ライブが始まると「何時に終わるのだろう?」と気を揉んだ。 ライブ不毛の時代だった。客席に10人もいないことが少なくなかった。
「気の済むまで歌っていいが、このままでは店が潰れる。午後10時を過ぎたら無料でお客さんを入れる。いいですね?」
 1人当たり300~500円とはいえ、ミュージックチャージ代は演奏者のもの。ロフトは来店したお客さんから飲食代を稼げばいい。ナミさんも、多くの若者に歌を聴いてほしかったに違いない。そう信じている。                    

 
                             
                                     
                                        



















 
                     
                     
                     
                     
                     
                     
                     
                     
                     
                     
                     
                     
                     
                                 
                                 
                                 
                                 
                                 
                                 
                                 
                                 
                                 
                                 
         
         
         
         
         
         
         
         
                                 
                                 
                                 
                                 
                                 
                                 
                                 
                                 
                                