平野悠
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平野悠「ロフト」創業者

1944年8月10日、東京都生まれ。71年の「烏山ロフト」を皮切りに西荻、荻窪、下北沢、新宿にロフトをオープン。95年に世界初のトークライブ「ロフトプラスワン」を創設した。6月、ピースボート世界一周航海で経験した「身も心も焦がすような恋」(平野氏)を描いた「セルロイドの海」(世界書院)を刊行。作家デビューを果たした。

大瀧詠一さんは「ニューミュージックのお葬式」と言った

公開日: 更新日:

 85年6月15日、旧国立競技場で6万人を集めたコンサートが開催された。13年ぶりの再結成となった大瀧詠一、細野晴臣、松本隆、鈴木茂の「はっぴいえんど」(活動69~72年)、加藤和彦、高中正義、高橋幸宏、後藤次利に坂本龍一が参加した「サディスティック・ミカ・バンド」(活動72~75年)がステージに立った。当日はユーミンがボーカルを担当した。

「当時、私は細野晴臣さん主宰のノン・スタンダードレーベルで制作プロデューサーをしていました。はっぴいえんどは再結成できるのか、ハラハラドキドキしながら見ていました。プロデューサーの亀渕昭信さん(元ニッポン放送社長)はまず大瀧さんに、そしてユーミンに(出演交渉の)声を掛けたそうです。願いは通じて、はっぴいえんど、ミカ・バンドが幕引きを務め、佐野元春さんやサザンオールスターズら新世代にバトンを引き継ぐ役目を担ってくれました。大瀧さんは、このときのことを『ニューミュージックのお葬式』と言っていました。ロフトの(平野)悠さんはライブハウスからスタートしてホール、スタジアムまで到達したニューミュージックを横目で見ながら、次代のパンクロックに邁進していました」

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