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増田俊也小説家

1965年、愛知県生まれ。小説家。北海道大学中退。中日新聞社時代の2006年「シャトゥーン ヒグマの森」でこのミステリーがすごい!大賞優秀賞を受賞してデビュー。12年「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」で大宅壮一賞と新潮ドキュメント賞をダブル受賞。3月に上梓した「警察官の心臓」(講談社)が発売中。現在、拓殖大学客員教授。

便利さが幸福を保証しない世界 『ドラえもん』(45巻) 藤子・F・不二雄作

公開日: 更新日:

『ドラえもん』(45巻) 藤子・F・不二雄作  

★あらすじ
 未来から来た猫型ロボット・ドラえもんが、気弱で失敗ばかりの少年・野比のび太を助けるため、ひみつ道具を使って日常の問題に向き合う物語である。勉強や運動が苦手なのび太は、安易に道具に頼っては失敗を重ねるが、そのたびに成長の痛みを知っていく。便利さは必ずしも幸福を保証せず、選択には責任が伴うことが静かに示される。友情や家族、別れや未来への不安といった普遍的な感情を、やさしいユーモアとSF的発想で包み込みながら、人がどう生きるべきかを問いかける、世代を超えて読み継がれる国民的漫画。


 日本で最も誤解されてきた漫画の一つだろう。未来の道具、便利なひみつ道具、猫型ロボット--それらは確かに正しいイメージだが、いずれも表層的で、安全な読み方にとどまっている。だがドラえもんを読み直すとき、そこに現れるのは子ども向けの夢物語ではない。人間の弱さと、時間が持つ不可逆性を、驚くほど冷静に描いた作品である。

 のび太は無能な少年として消費され続けてきた。勉強ができず、運動も苦手で、失敗ばかりを重ねる。しかし藤子・F・不二雄は、のび太を一度として「努力すれば報われる存在」として描かない。努力しても結果は出ず、性格も能力も本質的には変化しない。のび太は成長しない。その不変性こそが、この作品の中心に据えられている。ドラえもんは、のび太を更生させるために来たのではない。のび太が変わらない未来を前提に、その世界をどう引き受けるか。そのために配置された存在である。

 ひみつ道具は、しばしば救済の象徴として語られる。しかし実際には、多くの道具が事態を悪化させる。時間を操作すれば混乱が生じ、力を得れば暴走し、都合のよい未来をのぞけば現在が耐えがたくなる。道具は解決策ではなく、誘惑として機能する。道具が登場するたびに反復されるのは、「人間は力を持てば必ず誤る」という前提である。その視線は教育的というより、むしろ徹底した懐疑に近い。

 ドラえもん自身も、完全な保護者ではない。彼は優しいが全能ではなく、感情的になり、責任から距離を取ることもある。だからこそ彼は機械でありながら、人間的な存在として描かれる。未来から来た存在でありながら、未来を保証することは決してない。のび太が救われるかどうかについて、彼は断言しない。ただ隣に立ち、失敗を見届ける。その距離感が、この作品を道徳や説教から遠ざけている。

 この作品が一貫して描いているのは、「取り返しのつかない時間」である。多くのエピソードで、未来はすでに固定されている。のび太は冴えない大人になり、周囲の人間も大きくは変わらない。努力しても未来が好転しないことを知ったうえで、なお現在を生きる。その問いは、子ども向け漫画としては異例の重さを持つ。

 感動的な別れや友情が描かれることもあるが、それらは世界を恒久的に変えない。一話が終われば、また同じ日常に戻る。救済は一時的であり、反復は避けられない。ここには成長神話が存在しない。あるのは、変わらない日常の継続だけだ。しかしその反復を描き続けることで、この作品は逆説的に、人が生き延びるための最低条件を示す。失敗しても、取り返しがつかなくても、日常は続く。それ以上の保証は与えられない。

 だからこの漫画は、読む年齢によって意味を変える。子どもの頃は道具に笑い、大人になると、のび太の未来に息苦しさを覚える。成長とは、のび太を笑えなくなることかもしれない。『ドラえもん』は希望を語らない。ただ、希望がなくても生きていく姿を描く。その静かな覚悟こそが、この作品を国民的な位置へ押し上げた理由である。夢の物語ではない。これは、人間が弱いまま生き続けるための、きわめて現実的な漫画である。
(小学館 kindle版 583円~)

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