タモリ、浅井慎平、山下洋輔…昭和という時代が引き合わせた「狂気」の交流
「そう考えてみると、俺、青山人だな(笑)」
(タモリ/NHK「ブラタモリ」6月21日放送)
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青山通りをバスで走っているときだった。タモリは、近くにあった原宿セントラルアパートの思い出を語り始めた。まだ、タモリがデビュー間もない頃、そこに入居していたカメラマン・浅井慎平の仕事場を事務所代わりにしていたという。
セントラルアパート内にはさまざまなクリエーターが集結していたため、そこだけで仕事が完結できたし、新しい文化をつくり出していた。夜になると、南青山3丁目を少し下ったところで飲み、ミュージシャンたちと交流を深めた。その時代の自分を振り返った一言が今週の言葉だ。
当時、タモリは、夜は赤塚不二夫の家で居候生活をしていたが、朝10時ごろになると、浅井慎平の事務所にやってきて、こちらで“居候”をしていたのだ。タモリは、同じように暇をしている人物と、将棋を始める。それを浅井は「タモチャンの朝の将棋」と呼んでいたという(「朝日新聞」2021年10月2日)。