タモリ、浅井慎平、山下洋輔…昭和という時代が引き合わせた「狂気」の交流
夜になると、どちらが誘うともなく近くの居酒屋やバーに出かけた。2人は「まるで学生のように連れ立って、話すことに困らずよく喋った。共通のテーマはモダンジャズ」(同前)だった。
タモリは多趣味で有名だが、一時期写真にものめり込んでいた。きっかけのひとつは浅井の仕事について行ったことだ。ただ見に行くのでは面白くないからと、「謎の写真家の巨匠」になりすました。セッティングを終えると浅井が「こんなもんでどうでしょう?」とタモリに聞きにくる。タモリは「ウン」とうなずくだけ。現場の人間は一体誰なんだと混乱する(日本テレビ放送網・タモリ著「今夜は最高!」82年3月31日)。それを面白がっていたのだ。そんなことをしながらも「(浅井の)弟子よりも(写真を)教えてもらった」(テレビ朝日系「徹子の部屋」12年12月27日)と笑う。
「昭和という時代が、たまたま会わせてくれた人たちが何人かいた。それが、(山下)洋輔さんやタモリだった」(「産経新聞」21年12月27日)と浅井は言う。そうした交流の果てにふたりは、いまや“伝説”と評される映画を生み出す。浅井慎平が監督を務め、タモリが主演した82年公開の「キッドナップ・ブルース」(東宝)だ。浅井慎平は“あの時代”をこう振り返っている。
「昭和という時代は“狂気”を見せることを求めた。普段、隠している狂気を見せることが、すなわち“表現”だった。洋輔さんはピアノで、タモリはあの形で、その狂気を見せた」(同前)