(18)新吉原で大流行した散茶女郎の手軽さ

1657年の明暦の大火後、吉原はいまの場所に移る。新吉原は元吉原の倍近い広さ、東京ドーム2個分はあった。夜に昼の営業も加わり、大火後の復興景気もある。本来であれば、繁盛するはずだったが、さっぱりだった。なぜなら、何しろ、中心日本橋から遠くなったのが一つ。そのくせ、値段は高いし、…
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