(1)“シンクロの鬼”井村雅代コーチのスパルタ特訓でド根性を徹底的に鍛えられた
「あんなにハッキリ言う先生、気持ちいいわ」
不安はあった。理佐は幼稚園の頃、自転車事故をきっかけに右足の親指を大ケガしていた。帰り際、母が「この指で、シンクロできますか?」と尋ねると、井村は「無理ね」と一刀両断。「シンクロは魅せる競技だから、オリンピックには出せません。それでもいいなら、練習に来てください」と言い切った。
「お母さんは井村コーチを気に入ってました。『あんなにハッキリ言う先生、気持ちいいわ』って(笑)」
4種目を規定のタイムで泳げた約50人が入学。初めての練習では2時間ひたすら泳がされた。すると、翌日には半数に減った。小学校では無敵のスイマーたちも、浜寺の過酷な訓練には付いていけなかった。
「練習の次の日は筋肉痛で立てなくなるし、井村コーチも厳しいから、どんどん脱落していく。結局、1週間で10人弱になってましたね」
理佐には根性があった。大舞台に立てないにもかかわらず、小学校卒業まで地獄の特訓に付いていった。中学生になると、技術と胆力が認められ、コーチを務めた。
「子供への指導は、すごく楽しかった。中学校が荒れていたから、なおさら純粋な姿を愛おしく思えたのかもしれない」
理佐の中学校には無数のヤンキーが集い、授業どころではなかった。入学直後、幼馴染みの豹変に驚愕する──。
▽立花理佐(たちばな・りさ) 1971年10月19日生まれ。86年に「第1回ロッテCMアイドルは君だ!コンテスト」でグランプリ獲得。87年にTBS系ドラマ「毎度おさわがせしますⅢ」で主演し、「疑問」でレコードデビュー。