見えそうで見えない、柴田理恵の権威とは無縁の自由な笑い
とはいえ、喰は決して「下ネタ」が好きなわけではなかった。だが、「ギャグになってれば、ジャンルは何であれ」面白いと気付き、「下だからっていうだけで、低いって見なすものの考え方は大間違い」と、下ネタに光を当てようと考えたのだ(YouTube「みんなのテレビの記憶」24年7月5日)。
だから、本来は股間を手で隠しながら客席を走り回る演目なのに、つい隠すのを忘れた俳優には「ふざけんじゃねえ!」と烈火のごとく怒った。喰との対談で「見せてしまった瞬間にただの下品に成り下がる。意味がぜんぜん違ってしまうんです。笑いとおふざけは紙一重」(CINRA「CINRA」17年4月17日)と久本も言う。
冒頭の“事件”の際、喰は再び「自主規制」の問題を感じたという。それに対しては「徹底的に戦う」と宣言している。なぜなら、人は国籍や宗教が違っても、笑い合うことによって同じような人間だと分かり、「笑いは武器になる」と信じているからだ(同前)。柴田は「ワハハみたいな無法地帯のようなところは無い」(ローソンエンタテインメント「ローチケ演劇宣言!」21年5月10日)と言う。
「権威的ではなく、鯱張るわけでもなく、本当に……底辺な、って言っちゃうけど(笑)、そういうのって本当に他にないから」(同前)
そう、そこには権威とは無縁の自由な笑いがあるのだ。