堰を切ったソロ活動からジョンの死に捧げた1曲を推す
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特別編「その後のビートルズ~ジョージ・ハリスン」
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これまで見てきたように、ビートルズの歴史とは、言葉を選ばずに言えば、ジョンとポールが、ジョージを圧迫してきた歴史だったといえる。
と書くと、ジョンとポールが悪者のように聞こえてしまうか。でも正直言えば、ビートルズ時代の音楽的才能、能力について、ジョージはさすがに物足りないのだからしょうがない。だって相手が天下のジョンとポールなのだから。
圧迫され続けた分、ジョージの「自分探し」が加速する。その結果が、インドへの傾倒であり、またソロ活動への執念である。
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実験的な作品とはいえ『不思議の壁』(1968年)、『電子音楽の世界』(69年)と、ビートルズ在籍中に2枚のソロアルバムをリリースしているのだからかなり早い。
そして解散直後、ついにあの大ヒットアルバム『オール・シングス・マスト・パス』(70年)を世に問うのだ。
オールキャリアを代表する『マイ・スウィート・ロード』を含むLP3枚組の大作。
さらに翌71年には、ロック界初の大規模なチャリティーコンサートといっていい「バングラデシュ難民救済コンサート」をプロデュース。こちらも3枚組LPにまとめられヒットする。
「堰を切ったように」とはまさにこのこと。「ジョージ・ハリスン、ここにあり」という高らかな宣言だ。
私のリアルタイム体験でいえば、けっこうヒットしたアルバム『クラウド・ナイン』(87年)の印象が強かった。
特に『セット・オン・ユー』(同年)は大ヒットし、ラジオやテレビでよく流れていたものだ。
バブルに向かっていく80年代後半の日本で、ジョージの声が流れてくるのを聴くのは、何とも不思議な気分がしたものだ。
また91年には、エリック・クラプトンとの東京ドーム公演のため来日。私も見たが、パティ・ボイドの「前夫」と「後夫」の共演を見るのも、まさに不思議な感じだった。
そんなジョージのソロ作品で、1曲選べと言われたら、この連載的には、80年のジョンの死に捧げられた『過ぎ去りし日々』(81年)を推す。
ビートルズ時代の『グラス・オニオン』(68年)同様、ジョンの曲を丁寧に織り込みながら、彼ヘの思いを切々と歌う1曲。特にMV(ミュージックビデオ)は必見。
2001年11月29日死去。享年58はいかにも若い。でもオール・シングス・マスト・パス──すべては過ぎ去っていく。
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