犬山紙子さん<3>月に1週間~10日は介護の息抜きで東京へ
仙台の出版社に入って1年半、新卒ながらデスク業務をこなすなど編集者として忙しい毎日を送っていたが、徹夜続きの働き方には疑問を抱き始めていた。
同時に母親の病気が進行し、おもに介護を担ってきた祖母の体力も限界に近づいていた。犬山さんは、仕事と家庭の両立が厳しいと感じるようになり、ついに退職を決意する。
「仕事って、やりがいや好きであることが続けられる大前提です。でも、それだけじゃダメなんだなって分かりました。体も悲鳴を上げていましたし、未練はありませんでしたね。スパッと辞められました」
介護を続けながらでもやれる仕事を探したが、結局、ファッション関連の仕事に就くのと同じぐらい夢見ていた漫画家を目指すことにした。子どもの頃から読んでいたし、イラストだって描いていた。毎日、母親を自宅で介護しながら、ヘルパーさんが訪問する夕方の3時間だけは車で近所の喫茶店に向かい、原稿を執筆する生活を送るようになる。