30代女性がお正月に“老い”を実感する理由。若さの代わりに何を得た?
おせちが食べきれない
正月になると「もう若くないんだな」と改めて実感する。食べきれなくなったおせちに、少なくなった年賀状…。老いを自覚する女性が、それでも自分を誇れる理由とは?
友人の沙織(38)は、元日の昼過ぎにぽつりと言った。
「正月ってさ…一気に現実見せてくるよね」
彼女の目の前には、おせちの重箱。黒豆、数の子、伊達巻。どれも嫌いじゃない。むしろ好きだ。なのに二日目には、胃がずっしり重い。
「昔は三が日ずっと食べ続けられたのにさ。今は一段で限界」
そう言いながら、胃薬を探し始める姿に、笑っていいのか分からなくなる。
こたつに入れば入ったで、今度は腰が痛い。立ち上がるたびに「よいしょ」という声が、無意識に出る。
「え、今の私のお母さんと同じ動きしてない?」
沙織はそう言って、自分で自分にツッコミを入れていた。
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消えゆく年賀状にしんみり
正月三が日というのは不思議な期間だ。仕事は休み。予定も少ない。なのに、心も体もまったく休まらない。むしろ、普段は見ないものを、これでもかと突きつけられる。
例えば、年賀状。かつては、ポストを開けるのが楽しみだった。「誰から来てるかな」そんなワクワクがあった。
でも今はどうだろう。そもそも枚数が少ない。出す人も減ったし、来る人も減った。
「今年、10枚も来てないかも」
沙織はそう言って笑ったが、どこか複雑そうだった。交友関係が整理された証拠。それは成長でもあり、老いでもある。
いつのまにか“懐かしい側”になっていた
テレビをつければ、懐かし番組ばかりだ。昭和の名曲、平成の名シーン。
「これ、リアルタイムで見てたやつだよね」
そう気づいた瞬間、背中にひんやりしたものが走る。“懐かしい”側に、完全に分類されている自分。
昔は、若者向けの新番組を見ていたはずなのに、今は「この頃のテレビ、面白かったよね」と言う側だ。
そして何より、正月は身体の変化が隠しきれない。夜更かしができない。昼まで寝ると、逆にだるい。暴飲暴食のツケが、翌日に確実に来る。
「まだ若いと思ってたんだけどな」
沙織はそう言いながら、湿布を貼っていた。その姿は、もはや“実家の親世代”と何ら変わらない。
こんな正月も悪くない?
でも、彼女は少し笑ってこう続けた。
「でもさ、正月にこういう現実を感じるって、悪くないかも」
若い頃は、無理がきいた。気合いで乗り切れた。でも今は、ちゃんと疲れるし、ちゃんと休まないと戻らない。
それは衰えでもあるけれど、同時に「自分の限界を知っている」ということでもある。
正月三が日は、強制的に立ち止まらされる時間だ。何も生産しなくていい。頑張らなくていい。その代わり、体も心も、正直な反応を返してくる。
胃もたれも、腰痛も、懐かしさに胸がきゅっとする感覚も、全部「今の自分」を教えてくれるサインなのかもしれない。
老いを感じるのはちゃんと生きてきた証拠
沙織は最後に、こう言った。
「老いってさ、急に来るんじゃなくて、正月にまとめて来る気がする」
確かにそうだ。正月三が日は、年に一度の“現実確認タイム”。
でもそれを笑い話にできるうちは、たぶんまだ、大丈夫だ。老いを感じる正月も、悪くない。ちゃんと生きてきた証拠なのだから。
そして沙織は、こんなことも言っていた。
「若い頃はさ、正月って“何かしなきゃ”って思ってたんだよね。初売り行かなきゃとか、友達に会わなきゃとか。でも今は、何もしないで終わっても、まあいいかって思える」
立ち止まれる自分を誇ろう
それを聞いて、私は少し安心した。老いを感じるということは、同時に“無理をしなくなった”ということでもある。
正月三が日に感じる体の重さも、気力のなさも、もう自分を誤魔化さなくていいというサインなのかもしれない。
若さを失った代わりに、自分のペースを知った。それだけの話だ。
正月に老いを感じる私たちは、たぶん今、ちょうどいいところにいるのだと思う。
無理に若ぶらなくても、立ち止まれる今の自分を、少し誇っていい気がした。
(おがわん/ライター)


















