榊原康政(1)13歳の時に家康に見出され、槍働きで信頼を得る
永禄9(1566)年、本多忠勝(康政と同年)らとともに旗本先手役を命じられ、50騎を預けられました。この「50騎」という数字は、小さく感じられるかもしれません。しかし、馬上の武士一人に対し数人の足軽が付き従うのが当時の一般的な編成です。史料が残っている北条氏や結城氏の軍役を見ると、一騎につき3人前後の歩兵を伴う例が多く、康政が率いた部隊は総勢200人ほどだったと推測されます。
200人は、現代の軍隊でいえば一個中隊に相当する規模です。中隊長には、隊員の先頭に立って、突撃する役割が求められます。戦国の世でいえば、自身が武者働きをしながら、隊を一つの戦闘集団として機能させるのです。おそらく19歳の康政は、最前線で槍を振るい、「我に続け」と兵を鼓舞しながら戦場を駆け巡っていたのでしょう。
当時の家康は三河一国(30万石)を基盤としており、兵力は7000から8000ほどと推定されます。軍勢は右に酒井忠次、左に石川数正、そして中央の家康自身の本隊という3つの部隊で運用されました。家康直属の本隊は、二千数百人規模になったはずです。康政のように一隊を率いる武士が10人ほどはいたでしょう。

















