「悲嘆の脳科学」マリー=フランシス・オコナー著 高橋洋訳
「悲嘆の脳科学」マリー=フランシス・オコナー著 高橋洋訳
神道では親族が亡くなった時に身内の者が喪に服すことを「服忌」といい、「忌」は故人の祭りに専念する期間、「服」は故人への哀悼の気持ちを表す期間のことだ。通常、忌の期間は50日、服は1年とされる。とはいえ、最愛の人の死に際して、自らの悲嘆(グリーフ)がそんな杓子定規に測れるものではない。人によっては死後何年にもわたって悲嘆を引きずり、うつ症状を来す人もいる。
悲嘆は、なぜかくも人を苦しめ、圧倒的な感情を生み、自分自身にすら説明できない行動や信念をもたらすのか。そしてそのとき脳の中ではいったい何が起きているのか。本書は、母親が死んだときに深い悲嘆を自ら経験した臨床心理学者の著者が、悲嘆が脳に及ぼす影響の研究を通じて明らかになったことを多様な視点から論じたもの。
例えば、夜中に目が覚めて暗闇の中を手探りで水を飲みに台所へ向かうとき、いつもならお尻がぶつかるはずのテーブルがないことに気づく。これは我々が現実世界とは別に脳が作り出した仮想マップの世界で動いていることを示している。同様に、最愛の人が亡くなってもすぐそばにいるように感じたり、その人が愛用していたものを見てその人の存在を強く感じるのも、脳は最愛の人がもはや戻ってこないことをすぐには学習できず、マップを書き換えるには時間がかかるためだ。
その悲嘆から回復する期間が服喪期間ということになるが、著者は悲嘆と服喪は明確に違うという。悲嘆は喪失経験に対する自然な反応で、ある意味では終わりがない。一方服喪は、悲嘆の痛みが低下すると同時に「充実した生活を取り戻す」ことに意味がある(ただし、相手との愛着の度合いでその期間やプロセスは大きく異なる)。本書には、悲嘆・服喪に関するさまざまな事例が引かれているが、その多彩な事例こそが、AIにはいまだ及べない脳の奥深さのように思える。 <狸>
(青土社 3080円)



















