小澤俊夫氏が警鐘 「共謀罪で言論の息の根が止められる」

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 共謀罪の危険性を聞くなら、小澤俊夫氏だろう。筑波大名誉教授でドイツ文学者。世界的な指揮者、小沢征爾氏の兄、つまり、ミュージシャンの小沢健二氏の父親だが、今回はこの人自身の父親、開作氏の話から伺った。満州に渡り、石原莞爾に共鳴、五族協和を訴えた開作氏は大陸でも帰国後の日本でも特務機関の監視対象だったのである。テロ等準備罪などというが、治安維持法とどこが違うのか。今の安倍政権は日本をどこへ導こうとしているのか。貴重な戦争体験に基づいた警鐘──。

■一番悪い岸の末裔が首相になって日本の未来はなくなった

 ──お父さんの開作さんは早い段階から敗戦を予想されていたと聞きました。

 親父はもともと歯医者で、シベリア経由でドイツに留学するつもりで大連に行ったんですよ。そこで石原莞爾さんや板垣征四郎さんの五族協和の考え方に感銘を受けて、満州青年連盟の一員となって活動を始める。でも、いつのまにか日本から大量に官僚が入ってきまして。親父は官僚が大っ嫌いですから、絶望していたところ、北京行きを勧められたんです。中華民国新民会という政治結社をつくって、日本の軍政府ができないことを中国人のためにやっていました。華北評論という雑誌も出していたね。今でも覚えていますが、1940年、皇紀2600年で日本中が浮かれているときに、「この戦争は勝てない」とハッキリ言いました。なぜなら、中国の民衆を敵に回しているから、と。こんなことを言えば軍部に睨まれますよね。その前から、軍部批判を強烈にやるもんだから、目をつけられて。思想憲兵がうちにずっと来ていたんです。

 ──あからさまですね。

 憲兵の格好をして、ずっといました。おふくろも気がいいものだから、一緒にご飯食べましょうって、円卓を囲んだりした。でも、親父は物事をズバッと言うタイプだったんで、全然、遠慮しないで、軍部を批判するんですね。

 ──よく捕まらなかったですね。

 まったくです。華北評論も検閲で真っ黒にされて。小学生だった私も墨塗りを手伝っていました。家族はその後すぐ帰国し、親父は1943年に日本に戻ってくるんだけど、日本でも同じようなことがありました。立川警察の特高課長が毎日、家に来て、来客、電話も含めて、会話を全部聞いている。名刺を出して、監視に来ましたって言うんですね。怖かったですよ。でも、親父はその特高の前でも平気で、国防婦人会のB29への竹やり訓練とかを「バカか」とやるんですね。ヒヤヒヤしたけど、捕まらなかった。親父が死んだときに征爾の父親ということで訃報が新聞に出ました。3日後に、その特高の人から手紙が来て、親父のことを『真の愛国者だと確信していました』と書いてあった。彼は多分、親父の言動を上に報告しなかったんじゃないかな。

 ──特高をも魅了するというか、スケールが大きな方だったんですね。そういうお父さまは今の安倍政権をどう見ますかね?

 親父は「日本から満州に来た官僚の中で一番悪いのは岸信介だ」と言っていました。「地上げをし、現地人は苦しめ、賄賂を取って私財を増やした」と。だから、岸が自民党総裁になったときに「こんなヤツを総裁にするなんて、日本の未来はない」とハッキリ言った。その岸の末裔が首相になって、日本は本当に未来がなくなっちゃったね。

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