「大日本言論報国会」は戦時体制づくりのために評論家を締め出した
太平洋戦争は3年8カ月続き、戦況が悪化すると次第に異様な心理空間が出来上がっていった。最終的には日本は神国である、決して戦争には負けないと言い出すのだが、そこに行き着くまでにはいくつかの道筋を通っている。昭和17年、18年、そして19年と、その心理上の変化は日を追っておかしくな…
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