かつての石井一久の剛毛すぎた強心臓…無断外泊でどつかれた当日の快投に野村監督も呆れていた
秦真司氏による「間近に見た名将の真実」(第31回=2021)を再公開
日刊ゲンダイではこれまで、多くの球界OB、関係者による回顧録や交遊録を連載してきた。
当事者として直接接してきたからこそ語れる、あの大物選手、有名選手の知られざる素顔や人となり。当時の空気感や人間関係が、ありありと浮かび上がる。
本企画では、そうした過去の名連載から一編をピックアップして再掲載。「彼女は?」「離婚した?」「在日?」「不倫報道の真相は?」「子供は?」「性格や素行は?」ーーネットにあふれる真偽不明なまとめ情報よりも、“確かな人物像”を映し出す。
今回は現楽天GMの石井一久氏について綴られた、秦真司氏による「間近に見た名将の真実」(第31回=2021)を再公開。年齢、肩書などは当時のまま。
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ヤクルトのドラフト1位ルーキー石井一久(現楽天監督兼GM)は、1992年の日本シリーズ第3戦で史上初の「レギュラーシーズン未勝利の高卒新人の先発登板」を果たす。4回途中2失点で敗戦投手となったが、高卒新人投手の先発登板自体、56年の稲尾和久さん、66年の堀内恒夫さんら5人しかいない快挙だった。すでに150キロ以上を投げていたが、当時は投げるだけでノホホンとしているところがあった。現ヤクルト監督の高津臣吾や古田敦也らがいじりながら“教育”していた。