秦真司
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秦真司野球解説者

1962年、徳島県生まれ。鳴門高を経て法大4年時に日本代表としてロサンゼルス五輪で金メダルを獲得。84年、ドラフト2位でヤクルト入団。90年に捕手から外野手に転向。92年の西武との日本シリーズ第6戦でサヨナラ本塁打を放つなど強打の野手として活躍した。現役通算16年間で打率.262、97本塁打、341打点。2001年にロッテの二軍打撃コーチ、05、06年に中日の捕手コーチ、08~11年はBCリーグ群馬の監督、12年から巨人の一、二、三軍バッテリーコーチを歴任。17年限りで退団も19年に巨人に復帰し、ファームバッテリー兼打撃コーチ。現在は野球解説者。

ヤクルトユマキャンプの珍騒動“国境越え”で監禁騒動に発展

公開日: 更新日:

 ヤクルトのユマキャンプといえば、思い出すことがある。

 ユマはメキシコとの国境に近く、選手数人が休日にドライブをしていたところ、いつの間にかメキシコに入ってしまったそうだ。当時は米国からメキシコへ入るのは、ほぼノーチェック。ただし、メキシコから米国へ戻る際にはパスポートが必要になる。気軽に出掛けたドライブだったため、パスポートを携帯しておらず、しばらく国境にとどまることになってしまった。

 食事時間にもミーティング時間になっても戻ってこなかったため、「監禁されてしまったのでは?」と宿舎は大騒ぎになった。

 私が選手会長だった1993年には、球団の人がスーパーでサンマを大量に買ってきた。宿舎ホテルのプールサイドで、バーベキュー用の鉄板を使い、ガンガン焼いたのだ。疲れている選手たちに日本の味を振る舞うためだったが、火事のように大量の煙が発生してしまい、消防車やパトカーが複数駆けつける騒ぎに発展。地元警察に大目玉を食らうという“事件”もあった。

 87年に万年Bクラスのチームにやってきたのは、私の法大の先輩でもある関根潤三監督だ。開幕時にはすでに60歳。穏やかで優しい好々爺のようなイメージがあったが、そんな印象はすぐに変わった。練習時間の長さは歴代でも随一といわれた。4日に1度のキャンプの休日もほぼなくなった。

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