「3.11」の瞬間はヤクルト戸田球場にいた 仙台に家族がいる選手たちは慌てて携帯電話を取り出し…
2011年3月11日午後2時46分、これまでの人生で体験したことのない揺れを感じた。あの東日本大震災だ。
楽天は星野仙一監督が就任した最初の年で、開幕を2週間後に控えたオープン戦の真っ最中。このとき俺は42歳で、ベテランとして二軍でのマイペース調整を任されていた。
「3.11」の日は埼玉県・戸田球場でのヤクルトとの二軍戦(教育リーグ)に同行。七回表、楽天が2点を取って、同点に追いついた直後だった。俺はベンチ横にあるコンテナのようなロッカールームで次の打席の準備をしていた。地面が揺れ始め、「地震か? 長いな……」と思ったら、ズドドドと大きな衝撃を感じた。
「これはヤバいぞ」
慌てて外に飛び出すと、外野スタンドのネットは波打ち、ポールが左右に揺れて互いがぶつかりそうだった。極端に言えば、隣接するゴルフ場のネットに当たりそうな勢いだった。
これまで経験したことのない、立っていられないほどの大きな揺れ。体を支えながら耐えていると、センター後方の駐車場に停車してあったチームバスが目に入った。俺たちが乗ってきたそのバスは転倒しそうな勢いで激しく揺れていた。
試合は途中で打ち切り。俺たちはとりあえず宿舎に帰ろうということになり、宿泊先のロイヤルパインズホテル浦和へ戻った。横転しかけていたあのバスに乗りこむ。その車内にあったテレビは東北地方の惨憺たる状況を映し出していた。
「これはえらいことになった……。仙台も大変なことになってしまった」
車内で全員がそう思っていた。
ニュースで震源が三陸沖であることが発表され、仙台に家族がいる選手たちは慌てて携帯電話を取り出し、電話やメールをしていた。もちろん、ほとんどが通じない。時間が経てば経つほどつながらなくなっていった。
何度も何度もかけ直し、不安そうに携帯電話の画面を見つめる選手を見ていると、気が気ではなかった。
俺の家族は名古屋にいて無事だったが、仲の良い友人や知人が仙台にいる。すぐに連絡がついた人もいた一方で、連絡がつくのに2日かかった人も。チーム内は不安な空気が充満して、みんなが右往左往していた。
一軍は兵庫県明石市の明石公園野球場(現・明石トーカロ球場)でロッテとのオープン戦の最中だったが、こちらも八回表で打ち切り。一軍は当初、翌12日のベイスターズ戦に向けて横浜へ移動する予定で、二軍では俺だけがこの日のうちに一軍に合流することになっていた。
混乱が続く中、俺は裏方さんの運転する車で横浜へ向かうことに。そこで俺は驚きの光景を目にする。いつもは
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