著者のコラム一覧
増田俊也小説家

1965年、愛知県生まれ。小説家。北海道大学中退。中日新聞社時代の2006年「シャトゥーン ヒグマの森」でこのミステリーがすごい!大賞優秀賞を受賞してデビュー。12年「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」で大宅壮一賞と新潮ドキュメント賞をダブル受賞。3月に上梓した「警察官の心臓」(講談社)が発売中。現在、拓殖大学客員教授。

弱さから始まる主人公像 『キン肉マン』(既刊91巻) ゆでたまご作

公開日: 更新日:

『キン肉マン』(既刊91巻) ゆでたまご作 

 
★あらすじ
 ドジで弱虫な落ちこぼれ超人・キン肉スグルが、数々の戦いを通じて真のヒーローへと成長していく物語である。当初は逃げ腰で信用もなく、笑い者にされていたスグルだが、命を懸けた超人レスリングの中で、仲間との友情や敗北の重さを知っていく。ロビンマスクやテリーマンなど、過去や挫折を背負った超人たちとの出会いは、彼を精神的にも鍛えていく。勝利だけでなく、負けや犠牲を積み重ねながら、それでも立ち上がる姿を描き、強さとは何か、正義とは何かを問い続ける、熱血と不格好さが同居した少年漫画。


 連載初期のキン肉スグルは弱い。

 すぐ泣き、逃げ、言い訳を重ねる。

 ヒーローの冠をかぶってはいるが、中身は臆病で小心な青年だ。作者は最初から完成形の強者をリングに立たせなかった。正義の光に包まれた像ではなく、敗北の気配を背負った男を中央に置いた。笑われることを前提に立つ主役。この配置そのものが作品の倫理である。強さではなく、強さの欠如から物語を始めるという危険な設計だ。

 たたかう理由も高潔ではない。使命でも血統でもない。逃げ場がなくなったから立つ。それだけだ。背中を壁に押しつけられ、弁明が尽き、観念した末に拳を握る。そこにあるのは覚悟というより意地である。みじめな意地だ。華々しい決意ではなく、退路を失った者の鈍い反発力。この作品はそこをごまかさない。立ち上がるまでの時間を削らない。ここが子供向け漫画の顔をした骨太の部分だ。

 昭和の新日や全日のプロレスブームを思い出せば理解が早い。夜の茶の間に家族が集まり、テレビの前で息を詰めた時代である。ロープ際で追い詰められ、膝をつき、それでも立つ。あの一瞬に拍手と怒号が同時に起きた。人々が見ていたのは必殺技ではない。劣勢からの反発だった。無敵ではなく、押し潰されかけた者の持ち直しだ。昭和プロレスの熱源はそこにあった。この作品も同じ炉で焼かれている。だから温度が似ている。

 子供たちは理屈で作品を読まない。技を叫び、技名を書き、『キン肉マン』消しゴム人形を並べて勝敗を争う。しかし直感では見抜いている。完全な英雄より、転び続ける者のほうが自分に近いという事実をだ。劣勢の場面で声援が大きくなる構造を、本能で理解している。弱い主人公への支持は甘えではない。自己肯定の回路である。自分の弱さを許すための装置だ。真似されたのは必殺技だけではない。何度も起き上がる動作そのものだった。

 脇を固める超人たちも同じ文法で書かれている。誇りは砕かれ、過去の敗北は消えない。傷は履歴として残る。それでもリングに戻る。勝者の顔ではなく、敗者の記録を背負ったまま立つ。この反復が物語の芯だ。栄光ではなく、敗北の持続を描いている。負けた事実を抱えたまま続行する意思である。

 友情の描き方も互いの卑怯や弱さを見てしまった関係だ。きれいな連帯ではない。泥を踏んだ者同士の横並びである。だから裏切りが重い。裏切れば自分の弱さまで否定することになるからだ。

 リングに上がる瞬間、人は皆スグルになる。

 膝が震え、帰りたくなる。それでも拳をつくる。その小さな決断の反復が物語を動かしてきた。これは超人の神話ではない。弱いままの人間が、弱いまま立とうとする過程の記録である。笑いと汗と敗北の履歴を抱えたまま、この作品はいまも呼吸している。
(集英社 kindle版 543円~)

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