TVでお馴染み コリア・レポート編集長・辺真一氏の原点
「僕が通った“都立”朝鮮小学校は、小3まで東京都が運営していて、いわゆる朝鮮総連の運営に切り替わったのは小4のとき。それから、全ての教室に金日成と毛沢東の写真が飾られ、授業で2人の歌を歌うように。そのとき覚えた毛沢東の歌『東方紅』の一節を講演で披露したら、若い研究者はキョトンとした。訪中の5カ月前には、天安門事件でデモ隊と軍が衝突したように、当時は民主化の波が押し寄せていたころ。若い人は、歌を知らなかったのです。でも、あの一曲で、お互いの距離が縮まって、鄧林を紹介してもらえたのかもしれませんね」
■研究所の廊下は電気つけず質素
天安門事件から5カ月経ってもなお、北京には戒厳令が敷かれていた。
「戒厳令は外出禁止が当然ですが、市民も旅行者も普通に外出できた。夜間だって自由。僕は、政府関係者の案内があり、天安門の中にも入れたんですよ」
そして、“鄧小平死亡説”の真偽を確かめるべく、中国画家の鄧林に会う。
北京郊外のアトリエとして使う研究所だった。
「廊下の電気はついていなくて、質素な建物だったのが印象に残っています。ひとしきり話を終え、林さんと父が一緒に写っている写真を見つけたのですよ。『これ、いつの写真?』と聞くと、その3カ月前の8月に海水浴したときのもので、『日本には、鄧小平死亡説が流れている』と話すと、笑っていましたね。鄧小平は健在だったのです」