かとうれいこを今も惹きつける野田義治会長の“グラビア愛”
■現場で煙たがられても平気だった
初めて会ったのは私が短大2年の1988年。たまたま渋谷へ買い物に行った際に、会長の知人のカメラマンに写真を撮っていただき、それが会長の目に留まって面談したのが、芸能界入りのきっかけでした。
最初はグラビアモデルからスタート。でも、すぐにスケジュールが埋まったわけではありません。そんな時、当時の事務所の看板タレントだった堀江しのぶさんが病死され、連日、会長がワイドショーのインタビューに応じているのを見ました。
その憔悴した姿から堀江さんと二人三脚で頑張ってきたことや仕事への情熱を感じ、「じゃあ、堀江さんの代わりにはなれないかもしれないけど、私が会長を支えよう!」って思ったんです。それからですね。本格的にグラビアのお仕事をするようになったのは。
その頃の会長は肩書は社長でしたが、どちらかといえば現場マネジャーのような存在。朝から晩までずっと一緒で、グラビア撮影の時も現場から片時も離れないんです。しかも、カメラマンの真横とか真後ろにいてアングルのチェックやポーズをアドバイスする。