“生きる伝説”S-KENインタビュー…パンク老人、かく語りき

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「70年代のNYじゃあ、しょっちゅう命の危険を感じたよ。今と違って地下鉄も危なかったし、僕が通い詰めてたバワリー通りのCBGBってクラブの帰りでは、仕事用のカメラを狙われたり何度も危ない目にあったんだ」

 東京ロッカーズの名でパンクロックムーブメント旋風を巻き起こし、以後、日本のミュージックシーンに新しい音楽と多数の若き才能を送り込んだプロデューサーにしてミュージシャンのS―KEN。齢71にして衰えぬ創作意欲を持つ彼が執筆して話題の「S―KEN回想録 都市から都市、そしてまたアクロバット:1971―1991」(河出書房新社)には、日本人がまだ見ぬ音楽を海外へと求めた若き日の破天荒なエピソードが満載だ。

「NYでは深夜の地下鉄で脅しをかけてくる黒人が多かったけど、そういう相手にはブラックミュージックの話をしてやるんだ。俺はこういうのが好きでここにいるんだ、と。するとだんだん話が盛り上がったりしてね、何度もピンチを切り抜けたよ」

 ヤマハによる音楽誌「ライトミュージック」編集部で働いていてアメリカ特派員を志願。単身で渡米し、大小問わず現地のライブを毎日のように見て回った。

「当時のヤマハは日本の音楽界を変革する意欲に満ちていて、こんな無謀な若造の願いも受け入れてくれた。おかげで報道関係者用のビザも得られた。ローリング・ストーンズやビーチ・ボーイズ、フランク・ザッパといったビッグネームから、黒人地区の教会で行われるシンギングバトルまで。日本じゃ誰も知らないようなライブも積極的に回ったよ」

 人種のるつぼであるNYやLAのディープな音楽や文化を見聞する中、大きな影響を受けたのが81年に36歳で急逝したレゲエ界の伝説ボブ・マーリーだったという。

「グルーブ感、強いメッセージ性、そして独特のリズム。客席には隣にビーチ・ボーイズのマイク・ラブなんかもいて一緒に聴いていたんだけど、その場の全員が息をのみ、圧倒されていた。単独のライブとしては生涯最大のインパクトだった」

 いてもたってもいられず、翌日、本人に会いに行った時の裏話が強烈だ。

「現れたボブ・マーリーは、集まっていた僕ら報道陣にブハーッとマリフアナの煙を吹きかけ開口一番“ガンジャ(大麻)を嫌うやつは世界平和も嫌うやつだ”とね(笑い)。今思えば凄い話だけれど、当時の欧米の音楽界ではドラッグは隠してやるというものじゃなかった。ザ・ウェイラーズのメンバーだったピーター・トッシュがNYのビーコン・シアター、日本でいえば渋谷公会堂みたいな会場でソロライブをやってたときも、ステージの真ん中で10センチもある巨大なガンジャを吸ってたよ。あるいは71年ロンドンの由緒あるロイヤル・アルバート・ホールでキャット・スティーブンスのライブを見てたときは、隣の客席から変なモンが回ってきた。吸ったら隣に渡せよ、って感じでね」

 こうして当時の日本人では唯一といえる、NYやLAの音楽シーンの最前線、その現場に深く踏み込んでいたS―KENは、帰国後に日本で大きなムーブメントを起こすことになる。 

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