萩本欽一〈23〉コント55号 実は4つもあったコンビ名の由来「俺は王貞治さんしか覚えてない」
萩本「7つ。だから二郎さんは、テレビはやっぱり若い人だから、俺はもう間に合わないっつうんだ。欽ちゃんの若さが魅力なんだよって。『だから欽ちゃんの好きなようにやって。俺黙ってついてくっていうのが最高だよね』って言ってた。でもさ、コンビ組んでね、喧嘩しねえやついねえんだもんね。だから嘘だろうと思った」
増田「しかもフランス座時代の嫌な記憶」
萩本「そうそう、だからどうも信じられなかった。そしたら劇場の人が『名前の順番どうする?』って言うから、俺『どうするかね二郎さん』って聞いたの。そしたら『いやいや、もう欽ちゃんの名前を出して』って言った。そのとき、あ、これが嘘じゃなかったら、本当にいい気持ちのいい相棒かななんて思ってたら、それ以来、1つも問題が起きなかった」
(つづく=火・木曜公開)
▽はぎもと・きんいち 1941年、東京都生まれ。高校卒業後、浅草での修行を経て、66年にコント55号を結成。故・坂上二郎さんとのコンビで一世を風靡した。その後、タレント、司会者としてテレビ界を席巻し、80年代には週3本の冠番組の視聴率がすべて30%を超え、「視聴率100%男」の異名をとった。社会人野球「茨城ゴールデンゴールズ」の初代監督、2015年には73歳で駒澤大学仏教学部に入学するなど挑戦を続け、25年10月にスタートしたBS日テレ「9階のハギモトさん!」は今年4月からSEASON3に突入した。


















