(1)「公平な選び方」を模索して誕生した「総選挙」は“一大ビジネス”へと変貌した
「総合プロデューサーの秋元康さんは相当あせっていたのだと思う」と振り返るのは前出の元ディレクターだ。
AKB48は07年12月、紅白歌合戦初出場を果たす。秋元がグループを立ち上げてわずか2年のことである。ただ、この初出場は完全なものではなかった。AKB48単独での出場ではなかったのだ。中川翔子、リア・ディゾンと合わせて一組の扱い。いわゆるオタクたちが推す「アキバ枠」としての出場だった。
もっと頑張らなければと決意を新たにしたメンバーたちだったが、早くも陰りが見え始める。翌年の紅白にAKB48が選ばれることはなかった。80年代半ばにフジテレビのバラエティーから誕生したおニャン子クラブの二の舞いかとテレビ関係者の多くが思った。秋元が全楽曲の作詞を担当したおニャン子は2年半で表舞台から姿を消した。
しかし、なぜ総選挙だったのか。発表後、面白がる声が上がる一方で、「投票でメンバーの順位をつけるなんて残酷ではないか」といった非難が殺到した。それまで、テレビに出られる選抜メンバーは秋元がスタッフやレコード会社の人間と相談して決めていた。「より公平な選び方をする」というのが秋元が総選挙プランを打ち出した表向きの理由だった。


















