<2>認知症の母親の介護でコロナ感染には十分注意していた

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 新型コロナに感染し重症化した男性が、今も肺機能低下と右足が不自由になる後遺症に悩まされていることを2月28日配信の「日刊ゲンダイDIGITAL」で伝えた。連載2回目は、昨年8月6日にコロナ感染で緊急入院した槌田直己さん(仮名)が当時どんな状況にあったのか詳しく振り返る。【編集・構成=岩瀬耕太郎/日刊ゲンダイ】

 ◇  ◇  ◇

 私は新型コロナに感染し、重症化。半年余りの入院の後、1カ月ほど前に退院しました。ちょっとだけプロフィールを補足します。現在57歳で、妻子はおりません。出身校は慶応大学で、ほとんど喫煙をしたことはありません。「ほとんど」といいますのは、過去に酒の席で何度かふかしたことがあるという程度で、常用していたわけではないという意味です。基礎疾患については、ちょっと高血圧の気がありましたが、ここ数年は降圧剤で上が120、下が70台くらいで安定していました。それ以外はありません。入院前はあまり運動はできていませんでした。

 発病直前までは90代の父、80代の母と3人で暮らしておりました。父は頭もしっかりして手はかかりませんでしたが、心不全と前立腺を長年治療していました。母は血糖値が高く認知症を患わっていました。日々、母の介護と家事に追われていた感じです。

 昨年4月7日に最初の緊急事態宣言が出されました。基礎疾患のある高齢者との同居ですから、私も感染してはいけないとかなり注意をしていたつもりです。出かける時はマスク必須で、電車には乗らず常に車で外出していました。仕事は自宅を事務所とする事業なので、最低限の打ち合わせ以外は外出しないようにしていました。遊びになんて行けません。外出するのは仕事以外には日常品の買い物だけです。服や装飾品を買いに行くこともありません。

 母は週に5回程度デイサービスに行っておりましたが、認知症があるため、母が家にいる時は出かけにくく、母が出かける朝9時過ぎまでと帰ってくる夕方5時頃以降は極力家にいるようにしておりました。ですから外出できるのは朝9時過ぎから夕方5時頃までです。それに加えて両親とも病院に付き添うことが月に数回あります。父が家にいるからと仕事に出かけて帰ってきたら、母が家の中で転んで頭から血を流していたり、廊下に座り込んで立ち上がることができなくなって父がオロオロしていたこともありました。

■コロナ禍前から忘年会などはすべて断っていた

 父は昔風の「男子厨房に入らず」的な男でしたから、家事はほとんどしません。私が仕事で外出し昼食時にいない場合は昼食もカップ麺か食事抜きになってしまいます。レンジでチンすらあまりしないのです。ですから昼間の外出といっても昼食が外食になるような時間帯にはあまり家を空けられないですし、夜の忘年会などもコロナが流行る前から全部断っていました。

 私の仕事はよくいえば経営コンサルタントですが、実態は面倒な作業のアウトソーシングや雑用です。取引先の多くは高齢で細かな仕事が不得意な方が多く、取引先の方々もコロナ感染に気を配っている方々でした。

 コロナ感染の原因の大きなものは飲食時の飛沫感染ですが、上記の理由で家族以外との飲食があったとしても高齢者との昼食が多く、せいぜい月に1~2回といった感じでした。こんな状況ですから、基本的に感染はしないだろうと思っておりました。

■発病する2週間前に母親が自宅で亡くなった

 私が新型コロナで入院したのは8月6日(木)ですが、感染の可能性のある3週間くらいの行動を確認してみましょう。7月16日(木)以降は自宅での作業が多く、買い物以外は21日(火)に仕事で外出しました。この日の外出は車で出かけ、外食なし。面談者は会議室で4名です。この間、父は7月16日(木)、17日(金)、20日(月)と半日デイサービスに行き、それ以外はずっと自宅です。

 実は私が発病する2週間ほど前の7月22日(水)に母が自宅で亡くなりました。原因はコロナと関係なく心臓病で突然死です。母が亡くなった直後は父と近所に住む兄弟夫婦、主治医と母の死亡後に来た警察の方と接しました。自宅で人が死ぬと医者が付き添っていても警察が来るんですね。4人も来て1時間以上、現場検証していたのでビックリしました。

 告別式は7月27日(月)でした。告別式までは葬儀の準備でバタバタしました。父と私と私の兄弟のみで準備を行いました。母は人付き合いも広くないですし、時節柄多くの弔問客を招くのもいかがなものかと考え、近い親戚のみ計12名で告別式を行い、通夜は行いませんでした。この間に接したのは父と兄弟、姪や叔父、叔母、いとこと葬儀社の方のみです。

 葬儀の翌日28日(火)以降は母の関係で役所関係や銀行を回り、29日(水)、31日(金)には仕事の打ち合わせがそれぞれ1時間程度ありました。ですが、外食はしていませんし、打ち合わせに参加したメンバーは両方とも5名程度でした。その他に食品等の買い物と医者に行っています。母の介護関連の方も来ました。レンタルしていた介護用品の引き上げのためです。

■自分はいつどこで感染したのか?

 7月31日までに接した人の中で新型コロナに感染していたのは私と父と兄弟一人だけです。他には確認できていません。この状況で私はどうして感染したのでしょうか。父からはあり得ません。父が通っていたデイサービスからは感染者が出ていないからです。可能性としては兄弟からがあるようにも見えますが、この兄弟には娘(私にとっては姪)がおり、兄弟と姪は私の家で寝る時は一緒の部屋、自宅は我が家から車で1時間以上かかる場所で、母の葬儀の前後兄弟と姪は一緒に車で行き来しましたが、姪は感染していません。年齢的に若いから感染しないんだという意見もあるでしょうが、密閉密集密接した空間で過ごした時間は父や私よりこの兄弟は遙かに姪と過ごした時間が長いので、兄弟から私や父にうつったというのも説得力が強くなさそうです。

母親の葬儀の3日後、父が体調の異変を訴えた

 そして母の葬儀の3日後の7月30日(木)、父が体調の異変を訴えました。もしこの異変が新型コロナに由来するものであれば、29日以降に会った人は感染源ではありませんね。

 30日、平熱36度前後の父の体温が朝から37.2度になったのです。早速、父の主治医に電話しクリニックに行くことになりました。この頃は第2波が来たと騒がれている最中で、クリニックに行くにも勝手に行けません。

 他の患者の診療が終わるお昼の12時過ぎにクリニックに訪問し、医師の判断を仰ぎました。第2波の頃はPCR検査がなかなか受けられず、高齢者であっても37.5度以上の熱が2日間続くか、自身が濃厚接触者に該当しない限り基本的にPCR検査が受けられず、その日は父も抗生剤を頂き、しばらく様子を見るように指示を受け帰宅しました。

 翌31日(金)には私自身が毎月通っているクリニックに行き、診察を受けましたが異常はなく、いつも通りの投薬を受けました。

 父はその後2日間は36度台の熱でしたが、8月2日(日)の夜に38.2度となり、翌3日に再度クリニックに行きました。この時も他の患者と会わない時間帯に伺い、レントゲンを撮っても肺炎の兆候は無いとのことで帰ってきました。その後37度台前半の微熱が続き、5日(水)夜にまた38.2度となったので、明日クリニックに行こうと予定をしていました。

 翌早朝6日(木)の朝5時頃、私が自室で寝ていたら父の寝室から咳き込むような音が聞こえてきました。様子を見に行ったら苦しそうにもがいています。これはマズいと思い、救急車を呼びました。119番に電話したところ、「コロナの感染者は身近な人でいますか?」と問われたので、「います」と事実と異なる答えをしました。

 そう答えないとPCR検査はしてくれないし、重要度が低いと思われると思ったからです。119番からは「すぐに救急車を寄越すので、準備をしてほしい」と伝えられ、電話を切りました。

■「経験上、この状況で助かった事例はありません」と救急隊員に告げられる

 数分後、救急車が到着しました。私は寝間着から外出着に着替えて待っています。父は苦しそうです。救急隊員はよく見る防護服を身にまとっていたと思います。救急隊員は父を見ると「私の経験上、この状態の患者が助かった事例はありません。延命処理を行いますか?」と、もう助からないとの言い方です。

 私はビックリしましたが、救急隊員に言われたのでは仕方がありません。父は日頃から延命治療は望んでおりませんでしたので、「延命治療の必要はありません」と答えました。心の中で父には命を助けられなくて申し訳ないと詫びながら。

 ところが救急隊員は更にビックリすることを伝えてきたのです。救急隊員は「私の見るところ、あなた(つまり私)も相当重傷です。あなたを救急車で運びます。すぐに出かける準備をしてください」といって、保険証やらお薬手帳やらを用意するよう指示を出しました。

 そしてもう1台の救急車が呼ばれ、私も担架に乗せられ家を出ました。家を出ると救急車以外に消防車がいました。なぜ消防車がいたのかわかりません。関係ないかもしれませんし、家の周りに消毒液でもまこうとしたのでしょうか。ここから先は救急車で病院に到着するのですが、病院到着後は全く記憶がありません。記憶が戻るのは治療が始まってからのことですが、今思うと何が現実で、何が夢だったかわからない不思議な記憶となっているのです。強い薬のせいでずっと幻覚を見ていたからです。

■死後、父のコロナ陽性が判明

 父は救急車で運ばれましたがすぐ亡くなり、死亡後PCR検査をしたら陽性だったと分かりました。父の遺体は一旦葬儀社が預かり、葬儀社にも火葬場にも誰も行けず、後日葬儀社の方から遺族が遺骨を受取るという寂しいものでした。父の亡くなる3日前に感染を疑いクリニックに行き、レントゲンを撮ったにもかかわらず、PCR検査が受けられず、新型コロナ感染の発見には役に立ちませんでした。

 今回お話ししたのは、私程度の感染防止対策では感染は免れなかったという事実です。皆様も気をつけてください。

 次回(3月14日公開予定)は入院までの私自身の体調の変化と不思議な体験についてお話ししたいと思います。

(文・槌田直己=仮名)

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