無人の町で視界に突然現れた圧巻の桜…帰る人を待って10年

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 2011年から福島原発事故を取材しているジャーナリスト藤原亮司は、取材の通りすがら、たまたま通りがかった福島県で延々と続く富岡町夜ノ森地区の満開の桜並木の下をくぐる。圧巻の景色だった。

 以後、開花時期には欠かさず通い続ける。10年間の観測してきたが、筆者は今年はこれまでと違う空気を感じた。

 ◇  ◇  ◇

■夜ノ森桜並木とは

 福島県富岡町の国道6号から西へ延びる約1キロの通りと、直角に曲がった約1キロの通りにある「L字型」の桜並木。

 明治期にこの地の開拓に尽力したと言われる実業家・半谷清寿氏が、1900年(明治33年)に300本のソメイヨシノを植樹したことが始まりだとされている。富岡町役場によると、現在は桜並木には420本、地区全体では他に約1200本があるという。

人がいなくなった町でも桜が花を咲かせている

 福島県富岡町夜ノ森。東日本大震災以前は、県内外から約10万人もの花見客が訪れた桜の名所だ。しかし、2011年(平成23年)3月11日を境に状況は一変。地震とそれに伴う原発事故で、福島第一原発から20キロ圏内の町は「警戒区域」に指定され、全町避難となった。

 私が夜ノ森を知ったのはその年の4月だった。宮城や福島の被災地を取材していたとき、ここが桜の名所だと知らずに偶然町を車で横切った。

 東京ではすでに桜は咲いていたはずで、福島に向かうため何度も往復した道中でも桜は見ていたはずだ。しかし、震災と原発事故の取材で、当事者でもないのに気持ちには余裕がなくなり、私には周囲の風景がまったく見えていなかった。住宅街を走ると突然、視界に現れた青空の下で咲く満開のソメイヨシノの並木だった。車を止めて降りると、春の強い風とそれに揺れる枝の音だけが聞こえていた。圧巻だった。その景色を見て初めて「ああ、いまは桜が咲く季節なんだ」と知らされた。

 情緒的なことを言えば、誰ひとり人がいなくなった町で、それでも桜が花を咲かせている。人々の帰りを待つかのようなその姿が不憫に思えた。あれから10年もの間、私は夜ノ森の桜並木を撮り続けてきた。

2020年3月には帰還困難区域の一部が解除

 震災翌年には、防護服を着た作業員が車を停め、桜並木に携帯電話のカメラを向ける姿がまばらに見られたが、13年3月25日には、桜並木の大部分が帰還困難区域に指定されたためにバリケードが設置され、許可なく立ち入ることはできなくなった。

 それでも毎年桜が咲くと、避難先から富岡町の「元町民」たちが桜を見に訪れた。全長2キロメートルのうち、帰還困難区域を外れた250メートルほどの並木の下で、桜を見上げて写真を撮っていた。

 2020年3月にはJR常磐線夜ノ森駅の再開に伴い帰還困難区域の一部が解除され、現在は約1キロメートルの桜並木を歩けるようになった。

自慢の桜並木

 震災から10年、今年も満開の桜の下には人々が写真を撮る姿があった。佐藤和子さん(81)は、孫の瑞希さん(29)、ひ孫の愛莱さん(10)と、夜ノ森を訪れていた。

「避難先でも、富岡のことを思うときはこの桜を思い出しました。(住民にとって)自慢できるほどの立派な桜並木ですから」と和子さんは話す。一家は避難先の郡山市に落ち着いたが、和子さんは家族と離れ、昨年から町に戻った。夫は2012年に先立ち、元の家で一人暮らしている。

「郡山に比べると、今の富岡はずいぶん不便です。迷ったんですがやはり先祖の墓を守らないと、と思って」

一人での生活に淋しさを覚えることもある。だから桜の時期には、「関東の親戚が花見に来ると言ってくれてたのが楽しみでした」。

だが新型コロナウイルスの蔓延により、今年はそれも叶わなかった。

「来年こそ、この自慢の桜を見てもらえるといいんですが」と、和子さんは笑った。

■人口1万5830人が1585人に

 2011年3月末時点の富岡町の人口は1万5830人だった(富岡町統計)。現在、県内避難者は8593人、県外避難者は2107人。町内居住者は1585人だが、元々の町民は約半数。あとは新しく移り住んだ人たちで、多くは原発や復興事業に関わる単身者だという(富岡町役場による)。

 戻った町民も多くは高齢者で若い世代は少ない。子育て世代にとっては原発や放射線への不安がぬぐえず、また避難先で就いた仕事や人間関係、学校など、さまざまな理由が帰還を思いとどまらせている。

■昨年10月に移住してきた人も

 そのような中でも、富岡町への移住を決めた若い世代もいる。3歳の息子を連れて夜ノ森を訪れた三木由利香さん(31)もその一人だ。富岡町に隣接する楢葉町で暮らし、双葉町で働いていた彼女は原発事故で家族といわき市、さらに埼玉へと避難し、東京でも暮らした。

「まさに“転々”としていました」と、当時を振り返る。不慣れな土地を移り住む暮らしは落ち着かないものだった。富岡町出身の夫の希望もあり、昨年10月に移住した。

「子どもが小さいので不安もありました。放射能の問題、医療や福祉は十分なのかと。でも思い切って帰ってきたら、『いいな』と思うことがたくさんあって。歩いていると消防車から子どもに手を振ってくれたり、人との関係が東京や埼玉とは違うなって感じて。自然のある穏やかな風景も、息子にはいいのかなって思います」

 夜ノ森には震災前から「普通に通っていた」。避難生活中、「あの頃は当たり前に思っていた」桜を、また見たいと思ったこともあった。

「心の拠り所でした。あんな大変な出来事があっても、やっぱり桜は咲くんだなって。すごいというか、嬉しくて泣きそうになりました」

富岡高校元校長「10年で事情は変わった」

「桜は自分と故郷をつなげてくれる確かなもの、なんだと思います」。NPO法人「富岡町3.11を語る会」の代表で、富岡高校の校長も務めた青木淑子さん(73)はそう話した。彼女はNPOのメンバーである語り部たちと、「あの日」起きたこと、その後被災者が過ごしてきたか、将来に向けてどう生きようとしているかを、語り継ぐ活動を行なっている。

「避難指示が出され、町民は先のことも、実際なにが起きているのかもわからず、町を離れなければならなくなりました。あの頃、すべての人は町に帰りたいと思っていたはず。でも10年の時間が過ぎ、人それぞれ事情が変わってきています」

 青木さんは震災における福島の特殊性についても語った。

「原発事故は、津波被害と違って分かりにくいんです。目に見えて命や家を奪われたわけではない。でも故郷に戻ることはできない。じわじわと人生を変えられた。なんで住める家を解体するのかと、他の地域の人から言われることもあります。でも、住めるように見えても住めない自宅を壊す判断をするのは本人で、それが心の大きな傷になることもあります」

 そんな富岡町の人たちにとって、夜ノ森は「心の象徴」として人々を勇気づける存在だと話す。

「町に戻った人、迷っている人、離れることを決めた人。違う思いを持った人同士でも、桜の話をすれば一瞬にして故郷への思いが蘇るんです。様々な思いを桜にかぶせて自身を考えることができる。変わらずに咲き続ける桜。その強さや逞しさ、富岡の人たちを待ち続けてくれている姿に自分たちを重ね合わせ、力をもらえるんです」

2023年が帰還困難区域の解除目標

「震災10年」は、被災者にとって何の区切りにもならない。「震災」は様々な形で今も続いている。しかし、それでも10年という時間は確実にすぎた。取材中、青木さんが話した言葉が印象に残る。「負の遺産をプラスの遺産にしていかないと未来の人に申し訳がない」。

 富岡町では、夜ノ森地区の帰還困難区域解除目標を2023年(令和5年)春頃としているが、住民の帰還が進まない中での復興への道筋は容易ではない。いつか、震災前のように多くの花見客で賑わい、人々が桜を見上げる姿を撮れる日が来ることを心待ちにしている。

(写真・文=藤原亮司/ジャーナリスト)


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