津野田興一
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津野田興一都立立川高校教諭

1965年生まれ。東京都立大学大学院人文科学研究科史学専攻修了。現在、東京都立立川高校で世界史を教える。著書に「世界史読書案内」(岩波ジュニア新書)、「やりなおし高校世界史―考えるための入試問題8問」(ちくま新書)、「第2版 ポイントマスター世界史Bの焦点」(山川出版社)など。

“空白の一行”が持つ深い意味…原稿用紙からひもとく「中国の出版」と「印刷革命」

公開日: 更新日:

 今回はクイズから始めましょう。図①はいったいなんでしょうか?

「原稿用紙に決まっているじゃないか」と言われそうですが、正解です。では、なぜ真ん中に1行、余分な部分があるのでしょうか? また、その真ん中の部分にある「【」は、いったい何を意味するのでしょうか?

 答えを明かす前に、中国における書写材料の歴史を簡単に振り返っておきましょう。漢字の原型は殷代の甲骨文字(図②)にさかのぼります。それは亀甲や獣骨に刻まれ、神意を占った記録を残すために書かれました。周代には青銅器に鋳込まれた金文という書体が生まれます。私はこの独特の書体に不思議な魅力を感じるのですが、これもまた神意や王の言葉などの重要な言葉を記録したものでした。

書写材料の歴史

 一方この頃には、竹や木の札に文字を書いて、それを糸でつづった竹簡や木簡などが登場します(写真③)。すだれのように並んだ竹簡をぐるぐる巻いて保管したので、現在も書物を1巻、2巻などと数え、巻物の呼称を使いますね。

 ちなみに、官吏登用制度で合格した最優秀の答案(つまり巻物)を一番上に置いたことから、他の書物を圧するということで「圧巻」という言葉も生まれました。

 なお、この時代には帛と呼ばれる絹布にも文字が書かれましたが、貴重品である絹布に書かれるのは特別なときに限られていました。この竹簡などに書きやすい書体として、秦代の篆書や、漢代の隷書が生まれてくるのです。

書道の誕生

 そして漢代になると紙が登場し、魏晋南北朝時代に普及してくるのです。

 ここで初めて軟らかい紙に、軟らかい筆で、柔らかい書体の文字が書けるようになりました。東晋の王羲之は、楷書体・行書体・草書体の三体を完成させた能書家として知られていますね。

 唐代の後半になると、顔真卿のように力強い作風の書家も登場します。しかし、本当の革新は、次の宋代に始まるのです。

大量生産

 宋代には木版印刷術が発明され、書物の大量生産が可能となり、中国史上初めて庶民文化も発展した画期となる時代でした。

 この時代に、版式と呼ばれる印刷形式が整います。一枚の紙(版木)に長方形の枠を設け、中心に版心を設けています(図④)。ここには印刷の際にまぎれないように巻数やページ数などが記されていました。そうです、原稿用紙の中央に謎の1行が挿入されているのは、この名残なのでした。

 そして版心を2つに折って冊子をつくったのです。冒頭のクイズの「【」は「魚尾」と言って、中心線で折るための目印なのでした。

 このような書物が本当に普及したのは明代だったと言えるでしょう。図⑤は宋代(右)と明代(左)の書物を対比したものです。いかがでしょう? 違いが分かりますか?

 宋代の書物は、文字ごとに高さがまちまちで、手書きの味わいに少し近い感じがしますね。それに対して明代の書物は文字の縦の列だけでなく、なんと横の列もきれいにそろっています。「一」という漢字に着目していただけると瞭然で、明代の書物では「一」の上下にスペースをかなり取っており、漢字1文字ぶんもありますね。なぜでしょうか?

刊行の激増

 明代においては、朱子学にもとづく科挙が重視され、庶民であっても文学作品を読んで楽しめるほどの文化水準の向上が認められました。

 表⑥を見ていただけると分かる通り、明代、とりわけ嘉靖~泰昌帝期における刊行点数の爆発的な増加が驚異的です。この時代は、ヨーロッパにおいてルネサンスや宗教改革が進展しており、15世紀半ばのグーテンベルクの発明による活版印刷術で、書物の刊行点数が大幅に増加しています。このようにユーラシア大陸の東と西は、シンクロしていたことが分かります。とても興味深い点ですね。

 明代では、日本でもなじみの深い四大奇書と呼ばれる「西遊記」「三国志演義」「金瓶梅」「水滸伝」などが盛んに読まれました。

■明朝体の登場

 そろそろ、先ほどの謎解きをしておきましょう。明代の書物において文字の縦だけでなく横もきれいにそろっているのは、出版の効率化がはかられたからでした。漢字は文字の種類が圧倒的に多いため、ヨーロッパのように活字印刷をおこなうことは非合理的でした。そこで発展したのが木版印刷です。これなら、膨大な種類の漢字に対しても、その都度対応できます。

 ただ、木版印刷の彫師が文字を彫る際、いちいち版木をくるくる回転させながら1文字ずつ彫るのでは時間がかかり、コストが高くついてしまいます。そこで、漢字の縦線を彫る職人と、横線を彫る職人とが分業体制で文字を彫ることになりました。

 縦線だけを彫る職人が1行ごとに彫った版木を、横線だけを彫る職人にバトンタッチして彫らせました。これなら版木の回転は1度だけで済みます。

 その際、縦のラインだけでなく、文字の横もそろっていないと、横線を彫るときに効率が悪くて不都合ですね。

 このようにして、縦と横の長さがそろい、かつ、文字の構成要素に直線を多用する書体が生み出されたのです。これが明朝体です。読みやすく、文字数をカウントしやすい書体であったことから、教科書などに現在も使用されています。

 実は冒頭のクイズの原稿用紙の形式は、明朝体の縦と横をそろえた書体に対応した名残でもあったのです。

 装丁における線装、字体における明朝体、版式における文字の大きさの規格化、刻工の分業体制、これらがそろったことで明末における書物の大量出版と、それを可能とする高速化が進んだのでした。それにより、明代の人々の知的水準が大幅に向上したことは間違いないでしょう。

■もっと知りたいあなたへ

世界史の鏡 情報4 中国明末のメディア 革命庶民が本を読む
大木康著(刀水書房 2009年)1760円

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