津野田興一
著者のコラム一覧
津野田興一都立立川高校教諭

1965年生まれ。東京都立大学大学院人文科学研究科史学専攻修了。現在、東京都立立川高校で世界史を教える。著書に「世界史読書案内」(岩波ジュニア新書)、「やりなおし高校世界史―考えるための入試問題8問」(ちくま新書)、「第2版 ポイントマスター世界史Bの焦点」(山川出版社)など。

日本の近代化が早かった?中国の「洋務運動」と日本の「明治維新」を徹底比較

公開日: 更新日:

■近代化の流れ

 資料①は、日本と中国(主に清朝)が近代化の改革を、どの時点でおこなったのかを対比した表です。これを見て気がつくところを挙げてみてください。

 ヒントは、取り組んだ年度の差に注目して、差が大きい分野と差が小さい分野とに分けて考えてみることです。

 一見して分かるのは、開国、海軍創設、外国語学校、汽船の買い入れ、対外遣使、留学、工場の設立、電信、在外公館設置、汽車などは差がほとんどありません。一方、近代化の号令、頭髪、暦、国立大学設置、憲法発布などにおいては数十年もの取り組みの差が見られます。いったい、どういうことなのでしょうか。

■不平等条約

 実際のところ、開国に関しては清朝が日本に先んじていました。アヘン戦争(写真②)の結果、1842年に結ばれた南京条約では、中国南方の広州・廈門・福州・寧波・上海の5港が開港されました。清朝は翌年の虎門寨追加条約において、領事裁判権などを盛り込んだ不平等条約体制に組み込まれたのです。

 一方、日本は1853年のペリー来航をきっかけに、翌54年に日米和親条約を結びます。この時、下田と箱館を開港するのですが、清朝が戦争に敗れて開港せざるを得なかったのに対し、江戸幕府はアヘン戦争に伴う一連の顛末をリアルタイムで把握していましたから、余計な対立を避け、交渉によって開港した点が異なっていました。

 清朝が香港島の割譲を迫られたのに対し、江戸幕府は領土の割譲を許しませんでした。

■太平天国と漢人官僚

 続けて清朝は1856~60年にかけてのアロー戦争(第2次アヘン戦争)にも敗北します。この結果、さらなる領土割譲とアヘン貿易の公認などの不利な条約を結ばされました。しかし、清朝にとって本当にキツかったのは南部で始まった「太平天国の大動乱」(1851~64年)でした。

 かつて華北から南下した子孫の末裔である客家出身の洪秀全は、科挙の落第を重ねた後、拝上帝会というキリスト教の影響を受けた秘密結社をつくり、天下太平の実現を目指す世直し運動を始めました。やがて太平天国は経済の先進地域である長江流域を押さえ、清朝に大打撃を与えます。

 清朝の八旗や緑営といった正規軍が弱体化を露呈したのに対し、漢人官僚である曾国藩や李鴻章らが、自らの故郷で郷勇と呼ばれる私兵を率いて戦います。1864年に太平天国軍を鎮圧した彼らは、そのまま清朝の地方総督となって地域の秩序を維持してゆきます。漢人官僚が実質的な清朝の政治を担う時代がやってきたのです。

■世界情勢の吸収

 日本では薩摩藩や長州藩が中心となった討幕運動が強まり、幕藩体制が崩壊して新政府が樹立されました。1868年の明治維新です。

 ところで、当時、幕末の志士たちが読んだ本に「海国図志」(写真③)というものがありました。これは、アヘン問題の収拾に向かった林則徐が、世界の時勢や国家社会の様子を調べるために集めた資料を、友人である魏源に託し、出版されたものでした。当の中国ではあまり読まれなかったものの、むしろ日本において積極的に受容され、世界の情勢を知ることに役立ったのでした。このあたりに、世界情勢を吸収する日本と中国の姿勢の違いを確認することができます。

■「外務省」の設置

 太平天国鎮圧の中で台頭した漢人官僚の李鴻章や左宗棠らが始めた近代化の動きを一般に「洋務運動」と言います。一覧表(資料①)に見られる、年代差のあまりない海軍創設などは、いずれもこの時期に実現したものでした。

 この時、1861年に総理衙門という役所が新設されます。現代世界に例えるならば、外務省に相当するものと言えましょう。あれ? と感じた方もいたと思いますが、中国ではこの時まで外務省にあたる役所がありませんでした。中国における外交とは、伝統的な朝貢と冊封にもとづく上下関係で、野蛮人を意味する「夷」という文字を使った「夷務」と呼ばれていました。それが洋務と呼ばれるようになり、欧米諸国とは対等な外交を行わざるを得なくなったのです。

■中体西用

 洋務運動では軍事面や経済面に重きを置いた改革が進められました。対外戦争や太平天国などの内乱に対応することが何よりも求められたためであり、社会の変革や思想の変革に興味関心が向くことはほとんどありませんでした。中国の思想や学問など価値観に関わるものを「体」とし、西洋の技術などを「用」いて近代化を図るこのような考えを一般に「中体西用」と呼んでいます。

 写真④は、李鴻章が南京に設立した金陵機器局を写したものです。大砲などの製造がおこなわれていますが、清朝の人々の髪形は辮髪をしていて何も変わってはいませんね。

 一覧表(資料①)でいえば、儒学にもとづく科挙、満洲人の風習である髪形の辮髪、皇帝による時間支配と密接に関連する暦、学問をつかさどる国立大学、そして国の政治の根本を律する憲法などの改革は想定すらされていなかったのです。

■優劣はあるのか?

 さて、日本と中国の近代化をめぐる明治維新と洋務運動は、日清戦争によって、どちらが当時の時代の流れに適合的であったかが明らかとなります。それは、洋務運動が「劣っていた」ということなのでしょうか?

 近年の研究では、外国の文化や制度を取り入れる際、従来のあり方を百八十度転換して欧米諸国のあり方を積極的に採用した日本に対し、自国の文化や歴史を尊重しながら時間をかけて咀嚼してゆく中国のようなタイプがあり、両者は異なる類型として理解すべきだ、という方法論が提示されています。

 確かに、日清戦争や日中戦争に至る数十年間の歴史を見るならば、日本の方が近代化に成功したと言えるかもしれません。しかし、2021年現在の日本と中国の経済成長力を比較すると、勢いは日本ではなく中国の方にあります。つまり、100年、200年という、もう少し長いスパンで歴史を見るならば、洋務運動の評価も変わってくるのではないかと思うのです。

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