両国「下総屋食堂」93歳の2代目女将が語る戦争の思い出
アタシが幼い頃、興行の世界の人たちとつながりのあった父親がプロレスやボクシングのチケットをよくもらってきた。
それに付き合うのはアタシの役目。その頃、よく行っていたのが両国にあった日大講堂。昭和40年代の話だ。最近のアタシは両国橋のこちら側の浅草橋によく出没している。久しぶりに橋を渡ると、国技館や江戸東京博物館、旧安田庭園などがあり、晴れた日にのんびり散歩するには絶好のエリアである。
近頃は外国人観光客が興味深げにこの界隈を散策している。少し歩いて喉も渇き、腹も減ってきた。だったら行くところはここしかない。超老舗の「下総屋食堂」だ。
創業は昭和7年。民生食堂として長い間、庶民の腹を満たしてきた。民生食堂は外食中心の労働者のために安く栄養のある食事を出す店として東京都が指定した食堂のこと。もちろん今ではそんな制度はないが、下総屋食堂はいまだ当時の看板を掲げて営業している数少ない店の一つだ。
暖簾をくぐるとそこはまさに昔の食堂。7つあるテーブルに丸椅子。厨房の脇におかずを並べたショーケースがあり、その横のテーブルに2代目女将の宮岡恵美子さんがちょこんと座っている。
「お好きなものを取ってお盆にのせてくださいね」
アタシが厚揚げ(300円)と茄子の煮びたし(200円)をチョイスしたところで、奥の厨房から「もう、ご飯がないんですよ」と、中で切り盛りする息子さん。「え、ご飯、もうないの?」と恵美子さん。「最近、大盛りにする若いお客さんが多くて」。なるほど。サバ味噌は次回にしよう。絶対に飯が欲しくなって暴れ出すかもしれないからだ。