算数のテストで「スケジュール管理ができない病」の原因が判明!そして忘れられない15000
先生、なぜ私はスケジュール管理ができないの?
踊り子として全国各地の舞台に立つ新井見枝香さんの“こじらせ”エッセーです。いつでも、いついつまでも何かしら悩みは尽きないし、しんどいことだらけの日常ですが、生きていく強さを身に付けるヒントを共有できたらいいなという願いを込めまして――。
【「イキてく強さ」】
自らのスケジュール管理ができなさすぎて人生がままならず、藁をもつかむ思いで病院の門を叩いた。つかむ藁を間違えてはいないか? いや、スケジュール帳も壁掛けカレンダーも、Googleカレンダーでさえも、私にとってはただの脆い藁だったのだ。
このままでは社会的信用を失い、いずれ友人たちにも愛想を尽かされてしまう。とにかく専門家に話を聞いて欲しかった。先生、なぜ私はこれほどまでにスケジュール管理ができないのでしょうか。
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できれば前回のエッセイをお読みください
できれば前回のエッセイをお読みいただきたいのだが、《青く光ったトレイの商品だけお取りください》と注意書きがあるのに、猫型ロボットが運んできたすべての肉をかっさらってしまう人が後を絶たないのだから、人は基本的にできるだけ文字を読みたくない生き物なのだろうと思う。
某しゃぶしゃぶ食べ放題チェーンでは、毎度同じ店員が同じ説明をロボットのように繰り返す。よっぽど取り間違えるお客が多いのだろう。タブレットで注文したはずの追加肉が一向に届かないトラブルが多発しているようだ。なんとかルールを徹底させようと、猫型ロボットにまで「青く光ったトレイからお取りくださいニャ!」と説明させている人間の駄目さ加減が恥ずかしい。
そして、店内のどこかから「通りたいニャ!」「どいてニャ!」と延々繰り返す悲痛な声が聞こえると、他者が困っていても何とも思わない人間って多いのかもしれない、と悲しい気持ちになるのだ。
さて、こうして唐突に某しゃぶしゃぶ食べ放題チェーンの話をしたのは、スケジュール管理すらまともにできない私の脳が暴走しているわけではなく(ないと思いたい)、まずは「前回のエッセイを読み返す人などいないだろう」という達観と、「困り果てた私に心を寄せてくれる人などいないだろう」という諦念を、猫型ロボットの叫びとして可愛らしく、みなさんにお伝えしたかったからなのニャ!
本題。病院の門を叩くが…私は誰? ここはどこ?
そしてようやく、本題である。すぐに予約が取れるという条件で適当に選んだ病院の医師に泣き縋ると、まずはテストを受けてみましょうと勧められ、再度日を改めて訪れることになった。
受付に診察券を出すと、テストは特別室で行うらしく、いったん外に出てから隣のビルの3階のドアを叩くが、その仰々しさに不安が過る。テストって何をやらされるんだ?
「これから受けていただくのはどんなテストかご存じですか?」テストは専門の担当医が行うため、初対面となる白衣の女性に問われたが、私は初っ端から何も答えられなかった。
私は何のテストを受けに来たのですか? ……私は誰?ここはどこ?そんなんだから私、病院にいるの?
頭がぐるぐるしたまま医師と向かい合い、テストが開始される。2枚のカードの絵を見て間違い探しをしたり、模様のついたサイコロで見本と同じ形を作ったりするテストは、明らかに私の知能を測っていた。
バカにしているのかと思うほど簡単な問題もあれば、脳天から煙が出そうなほど難解な問題もある。エアコンをきかせた小部屋は暑く、ひどく乾燥しているのに水の一杯も出ず、問題文は先生が手元のテキストを棒読みするだけで眠気に襲われ、しまいには腹が立ってきた。
解き方はわかるのに、解答できない
《みかん156個をAとBの袋に個数の比が6:7になるように分けます。Aの袋には何個入れればよいでしょか。》
よくある算数の問題だ。そんなもの、小学校のテストで何度も解いたわ。ええと、合わせて何個だっけ? いや解き方はわかるのだが、問題を忘れてしまった。しかし小学校のテストと違うのは、問題用紙がないところだ。「みかん365個でしたっけね?」「………。」先生はロボットのように押し黙っている。
だったら出題もロボットでいいじゃないか。猫型ロボットならまだ可愛げがあるニャ。算数が解らないのではなく数字を忘れることで解答できない問題が続き、やがて目の前の医師を憎み始めた頃、正しいみかんの数は結局思い出されることなく、2時間に及ぶテストが終了した。
思い当たる節は多々あった
思い当たる節はある。たとえば、何度も訪れている友人のマンションの部屋番号が一向に覚えられず、知らない人の部屋のインターフォンを何度も鳴らしてしまう。それも203と204とかではなく、203と908くらい違う番号だ。ほとんどあてずっぽうである。
その他にも、お気に入りのワインバーの店名を、正しくは「1803」なのに「1984」と人に教えてしまう。これでは一生たどり着けない。乗って来た車のナンバーを覚えたはずなのに、用を足して戻ってきたら、同じような形の知らない人の車のドアを開けようとしたこともあった。
忘れているくせに自信満々で間違えるところが実に不可解で、迷惑な話だ。数字となると、私の記憶力は著しく低下する。この連載がはたして何回目なのかも、正直記憶にない。
「15000」という数字は根深く覚えているニャ!
「何月何日の何時に用がある」という記憶の中から数字が抜け落ちると、「何か用がある」という実に役に立たないぼんやりとしたスケジュールの記憶となる。それ故、今日がその何日という当日になっても、思い出せないのだ。
なるほど、私がスケジュール管理できない理由が、テストを受けることで、もはや結果を聞くまでもなくわかってしまった。できればこのテストに支払った〝15000〟という大きな数字も、とっとと忘れたいのであるが、そういうことはいつまでも根深く覚えている。
〝数字が覚えられない病〟という残念な情報を得るためのテストに、国民健康保険は利かないらしかった。ちょっと高すぎだニャ!
(新井見枝香/元書店員・エッセイスト・踊り子)


















