両国「下総屋食堂」93歳の2代目女将が語る戦争の思い出
キンキンのサッポロ黒生大瓶が
入り口横のテーブルに陣取ると息子さんがビールを出してくれた。キンキンのサッポロ黒生大瓶だ(600円)。お汁しみしみの厚揚げを頬張り、グラスを一気に空ける。サイコ~! 茄子の煮びたしも味がしみて、酒の肴にもご飯のおかずにもイケる。客の大半は若い男女だ。一人でサバ味噌を食べている女子はアジア系のインバウンド客。仄聞だが、この店はよくドラマのロケに使われているらしい。ならば聖地巡礼ってやつか。恵美子さんの亡きご主人のお父さんが店を始めてから93年がたつ。「主人がよく言ってましたよ。清澄通りから亀戸まで見渡せたって。清澄通りからこっちは助かったの。だからこの店もそのときのまま」と恵美子さん。東京大空襲は下町を焼け野原にしてしまった。
「焼夷弾は火が消えないから大変だった。その頃、あたしは横浜に住んでて横浜も空襲にあってね……。(戦争が)終わってからうちの前をマッカーサーが通ったりしてましたよ」
戦後、民生食堂で出していた労働者のご飯は130グラム。現在、病院食のご飯が通常140グラム。何かとコメが話題になる近頃だが、とりあえず何でも腹いっぱい食えて酒が飲めるってことは幸せなことだと思いましたよ。戦争の生き証人である恵美子さんも93歳になる。いつまでもお元気で当時の話を聞かせてください。あ、そういやオフクロは今年で90歳。彼女も東京での戦争経験者だ。今のうちアタシも娘たちを連れてあの頃の話を聞いておくことにしよう。 (藤井優)
○下総屋食堂 墨田区横網1-12-33