都倉俊一さん(2)中村寅吉さんの前でクラブを振ったこともありました
都倉俊一さん(作曲家/前文化庁長官)
子供時代は外国(ドイツ)で過ごしていたのですが、父がゴルフ好きだったので僕も遊び程度でやっていました。中学生になって日本に戻ってくると、父に連れられて時々行っていたのが当時パブリックだった砧ゴルフ場です。名前を書いたボールを雨どいみたいなところに入れておくと、その順番でスタートできたのを覚えています。
寅さん(中村寅吉氏。カナダカップ優勝で日本のゴルフブームを牽引した)がヘッドプロでいたんです。その頃、ゴルフ場に来る子供は珍しかったこともあり、僕を見て「オイ、小僧、振ってみろ」なんて言われて、クラブを振ったこともありました。のんびりしたゴルフ場で、うるさいこともなかった。もうなくなってしまったけれど、今でも跡地の砧公園に行くと、ゴルフ場だった面影がそこかしこに残っていますね。
本格的にゴルフを始めたのは、高校生になってベルリン(旧西ベルリン)に留学してから。16歳の頃です。
バスで行けるバンゼー湖のほとりに素晴らしいゴルフ場があったんです。27ホールのコースなんですけど、戦後は18ホールを米軍が接収していました。すっかりゴルフにハマった僕は、バスで行けるこのコースに通っていました。
ドイツはあまりゴルフが盛んではなく、ヒマそうなプロがいたのでレッスンを受けていました。「戦前に選手権を取ったことがある」って言ってたけど、くわえたばこのおっさんだったなぁ……という印象でした。
それでも、バンカーショットを教えてくれるときには、ライターやマッチ棒をポケットから出すんです。それを打って壊れたらヘタだと言って、フワッと打ってポトンと落とすような打ち方を見せてくれました。まだ、東西ドイツが分断されていて、コースの近くに国境があったので、フックすると東(ドイツ)に行っちゃうぞ、なんて言ってました。
ドイツはホントにゴルフ人口も少なく、人気のスポーツじゃなかった。後にベルンハルト・ランガーがマスターズで初優勝した時(1985年)も、
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