星野仙一監督の「怒りのキックの強さ」を測るためにあえてボクがやったこと
星野さんの前で活躍し、「恩返しはできたかな……」と、若いなりに思ったボクは、96年にロッテから与田さん(剛=評論家)とのトレードで中日に移籍。星野さんと同じユニホームを着ることになりました。でも、すでに肩は限界。活躍はできませんでした。
「オマエ、野球やめぇや」
97年、監督の星野さんから引退を勧告されました。この年に誕生した長男がウイルスに院内感染し、生死をさまよいました。一瞬、息子の顔が浮かびましたが、「はい」と力なく答えるしかありませんでした。
「これからどうする?」
その年の夏ごろからタレント業の話を頂いていたので、「東京に戻ってタレントになろうと思っています」と話すと、「そっか、がんばれや」と背中を押してくれました。
星野さんといえば、闘将といわれるように、鉄拳制裁も辞さない、熱い監督でした。
「何をやっとるんじゃ!」
星野さんは試合中にふがいないプレーが出ると、前のベンチをガンガン蹴り上げます。その勢いで選手たちが前につんのめり、ベンチがひっくり返るシーンを何度も目にしていました。いったい、どれくらいの力があるんだ? ボクはフザケ半分、怖さ半分で星野さんの目の前に座ってみました。


















