大打者・張本勲の過酷すぎた生涯…生前に語ってくれた「一番悲しかったこと」
「原爆の投下された時、姉弟は母によって身をまもられた。姉弟の上にかぶさった母は全身を窓ガラスの破片に刺されて鮮血をふきあげた。(中略)
貞子・勲の姉弟は、太田川にかかる橋の下で、罹災の第一夜を明かした。あたりは屍体の山である。その夜八歳の姉と五歳の弟はだれともわからぬ人から、握り飯を一箇ずつもらって飢えをしのいでいる。(中略)すでに広島は死の街である。瓦礫と灰燼の街である」
張本勲が亡くなった。享年86。首位打者7回、3085安打、生涯打率.319。大記録を残し、記憶にも残る名選手の原点は、差別と被爆体験だった。
冒頭の文章は、私が企画し、後に「シャガールの馬」で直木賞候補になる虫明亜呂無に連載してもらった「王貞治と張本勲」(1976年7月1日号から10回)からの抜粋である(張本は前年オフに巨人に移籍しOH砲といわれていた)。
被爆時12歳だった長姉は全身やけどで1週間後に亡くなった。張本も「被爆者健康手帳」を持っていて、いつ原爆症が発症するかとおびえていたが、誰にも明かさなかった。


















