【特別寄稿】前田有一 映画で理解するロシアの「過去・現在・未来」

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 停戦交渉が思うように進まず、ロシアとウクライナの戦争の先行きはまったく見通せない状況だ。軍事的にはウクライナの劣勢は明らかだが、映画批評家の立場から見ると、秘密主義の印象が強いプーチンに対して、自らカメラの前で団結を訴え国際世論を味方につけたウォロディミル・ゼレンスキー大統領は、情報戦では大健闘しているように思える。

 ゼレンスキー大統領は元コメディアンで、テレビドラマや映画で演じた正義の大統領役の好印象を最大限に利用して選挙に勝った。そんな“大衆の味方”のイメージを、Tシャツ姿の会見で喚起させるなど、さすがメディアの使い方を熟知している。

ロシア人の本音や価値観が詰まっている

 一方で、紛争相手国のロシアのことは日本からは少々わかりにくいというのが実情だろう。そんな時は映画を利用するのも一手かもしれない。少なくとも映画、それもロシア人が自ら自国を描いた作品には、バイアスのかかりやすい戦時報道とは違ったロシア人の本音や価値観、そんな貴重な“1次情報”が詰まっている。

 そこで本稿では、とっつきやすい娯楽作品から実験的アート映画まで、今のロシアがどうしてこうなってしまったのか、その理解に役立つと思われる作品を紹介していきたい。

「DAU.ナターシャ」はソビエト全体主義の狂気を描いた骨太作品

 各国の市場ではなかなか主流になりえないが、ロシア映画は「戦艦ポチョムキン」(1925年)のように、古くから高評価される映画を手掛けてきた。同作はロシア第1革命における象徴的な事件を描いているが、数年後に映画を見たオランダの水兵が反乱を起こすなど、映画自体も世界に大きな影響を与えた。

 それだけのパワーを秘めた作品だったわけだが、映画の力を信じる点では勝るとも劣らぬ情熱をもって作られたのが「DAU.ナターシャ」(2020年)だ。現代ロシアを理解するためには、まず前身たるソビエト連邦について知らねばならないが、本作はその一助になろう。

 イリヤ・フルジャノフスキー監督はこの映画で「ソ連時代の全体主義の狂気」を描くため、当時の社会を完全に再現する狂気じみた製作手法を採用した。具体的には、今まさにロシア軍に攻撃され市民が地下鉄駅で避難生活を続けるウクライナの都市ハリコフに建築した1万2000平方メートルのセットで、40カ月間もかけて撮影するというものだ。

 オーディション人数はなんと約40万人、衣装は4万着。700時間もの撮影素材から生み出された、もはや現実か虚構かわからぬほどのリアルシミュレーション。

 喫茶店のウエートレスが当局からスパイと疑われるサスペンスもので、最大の見どころである恐怖の尋問シーンは、本物の元KGB大佐が即興演技で行ったという。おそらくこの、本物と見まがう規模のセットだからこそ生み出された名演技というほかない。

 この映画は当のロシアからは検閲で上映を止められた、まさにプーチンに喧嘩を売った骨太の一本でもある。ちなみに続編の「DAU.退行」(2020年)は上映時間が369分もあるが、監督はさらに8本作る計画だというから凄い。

今もソ連時代と何も変わっていない恐ろしさ

 現実のウクライナの状況を見れば、ソ連が崩壊してロシアとなった今も当局の恐ろしさは何も変わっていないことがわかるが、彼らの本質はカンヌ国際映画祭で脚本賞をとった「裁かれるは善人のみ」(2014年)でも描かれている。アメリカで起きたキルドーザー事件(工場建設に反対した男が、改造したブルドーザーで町中を破壊し自殺した事件)を現代ロシアを舞台に翻案した社会派映画だ。

 労働者と権力側の対立構図は元ネタと同じだが、後半は大きく異なる方向へと展開。この映画では、キルドーザーごときではびくともしない、ロシアの権力者の強大さというものを垣間見れる。

■「ラブレス」で知る彼の地に生きる市井の人々

 なお、同じアンドレイ・ズビャギンツェフ監督の「ラブレス」(2017年)も、市井の人々の気持ち、実態を知るのに役立つ作品だ。12歳の息子の親権を押し付け合う最悪な夫婦と、少年の絶望を描くドラマで、血も爆発も出てこないが、すさまじく暴力的な映画だ。

 じつはこの作品の背景にあるのが、まさに現在につながる14年のクリミア危機、ウクライナ東部紛争だ。このころロシアではプーチンに不正選挙疑惑が持ち上がり、世界滅亡の予言番組が毎夜テレビに流れて国民の多くがそれを信じるなど、社会全体に異様な空気が蔓延していた。今の状況へとつながるそうしたもろもろが、本作を見るとよくわかる。

83年生まれの新鋭監督が世界を驚かせた超絶アクション

 暗い作品が続いたが、新時代のロシア映画界には目の覚めるような才気あふれる佳作も少なくない。たとえば1983年生まれの新鋭監督イリヤ・ナイシュラーの「ハードコア」(2016年)は、わずか2億円の予算だが若手らしい創意工夫で世界を驚かせた超絶アクション作だ。一人の男の逃亡劇を、役者の頭部に装着した民生品の小型カメラで撮影した一人称視線(POV)で演出。類似作品を研究し尽くしたという、かつてない驚愕の映像で楽しませてくれる。

 戦争が長引けば対ロ経済政策の影響は甚大となり、大国ロシアとて立ち直るまでに10年単位の時間がかかるといわれる。そうなると、資源高騰による経済成長の影響で生まれた、こうした新しいロシア映画勃興の流れも完全にストップし、映画をはじめ文化面でも暗黒時代が到来する可能性が高い。一刻も早い停戦と、この地が平和と秩序を取り戻すことを、世界中の誰もが願っている。

(前田有一/映画批評家)

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