西尾潤(作家)
7月×日 相変わらずの兼業作家。家族の介護と犬の世話も加わり、日々時間をぶん回している。先日、一時帰国したテニス界のレジェンド、国枝慎吾さんのヘアメイクを担当。ということで国枝慎吾、稲垣康介著「マイ・ワースト・ゲーム」(朝日新聞出版 1980円)を読む。国枝さんの話す言葉にいつも感銘を受けていたが、この本にはその秘密が詰まっていた。「アファメーション」は辞書で引くと、「肯定、確認、断言」という意味。人間は1日のうち、何万回も無意識下で自問自答している。だから肯定的なキーワードを内面に語りかけ、イメージを膨らませて信念に変え、行動に変えるという。レジェンドは「俺は最強だ!」の言葉をアファメーションし、テニス界の歴史を塗り替えた。おお。圧倒的に己に足りていないことではないかと悶絶。
7月×日 大藪春彦新人賞受賞作家、天羽恵さんの新作、「誓いの簪」(徳間書店 1980円)を読む。便宜上、受賞した順に先輩、後輩と呼んだりするが、天羽さんはすでに後輩ではない達人の域。命を狙われ、逃げることしかできなかった少女・おりんが、江戸で初めて「守りたい」と願う人に出会う。錺(かざり)職人を目指すお園との絆を軸に、人の優しさと強さを丁寧に描いた時代小説。美しさとは、誰かを想い、守ろうとする気持ちそのものかもしれない。感涙の1作。
7月×日 坂井希久子著「星合いの空 江戸彩り見立て帖」(文藝春秋 814円)を読む。江戸の空気が、頁をめくるたびにふわりと立ちのぼる。淡い恋心、ほのかな縁。江戸の人情が、上品な文体で描かれる心地よい物語。小さな選択の積み重ねが、人生の彩りを決めてゆく。星合いを通して見えてくるのは、人と人のまっすぐな「願い」。読むほどに心がほころぶ1冊。
7月×日 田中慎弥著「孤独に生きよ」(徳間書店 1540円)を読む。誰にも媚びず、声高にもならず、孤独の中で己の声を聴く。覚悟を刻んだ随筆。鋭く潔い文章に、自分の甘さを突きつけられるが、不思議と清々しい。孤独を恐れずに生きるとは、自分と徹底的に向き合うことなのだと思う。