新人時代の金本知憲ただひとりだけ、私の課した「1日1000スイング」を忠実に守っていた
内田順三氏による「巨人広島名伯楽の作る育てる生かす」(第19回=2020年)を再公開
日刊ゲンダイではこれまで、多くの球界OB、関係者による回顧録や交遊録を連載してきた。
当事者として直接接してきたからこそ語れる、あの大物選手、有名選手の知られざる素顔や人となり。当時の空気感や人間関係が、ありありと浮かび上がる。
本企画では、そうした過去の名連載から一編をピックアップして再掲載。「彼女は?」「離婚した?」「在日?」「不倫報道の真相は?」「子供は?」「性格や素行は?」ーーネットにあふれる真偽不明なまとめ情報よりも、“確かな人物像”を映し出す。
今回はあの金本知憲氏について綴られた、内田順三氏による「巨人広島名伯楽の作る育てる生かす」(第19回=2020年)を再公開。年齢、肩書などは当時のまま。
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同い年の緒方孝市にライバル心を燃やしていた金本知憲も思い出深い。
東北福祉大から1991年のドラフト4位で入団。1、2年目は二軍暮らしが続いた。広島は二軍の遠征費用を抑えるため、野手4、5人を残留させていた。金本は遠征メンバーに入れず、留守番となったことがある。当時、ウエスタン・リーグの日程は、大阪で阪神、近鉄と戦い、1週間ほどで帰広することが多かった。二軍打撃コーチだった私は、実際にやるかどうか半信半疑で、こう言い残し、遠征に向かった。