「GINZA-銀座」高地二郎著
「GINZA-銀座」高地二郎著
銀座は、日本の街の中でもひときわ特別な存在だ。その銀座を終戦間もない昭和22年から、昭和が終わった平成元年まで、半世紀近くにわたって撮影してきた市井の写真家による作品集。
銀座の老舗、天賞堂(表紙は昭和27年当時の同社)に勤務していた著者は、無類のカメラ好きで、ライカをはじめ多くのカメラを愛用。好きが高じて撮影用カメラを自作するほどだったという。
いつもカメラを首から下げ、本書に収められた写真の多くは、通勤中や仕事の休憩時間に撮影されたものだ。
同僚を写したものだろうか、昭和22年に銀座4丁目の交差点で撮影されたスナップがあるのだが、背後には並木の柳が風に揺れ、カメラにかしこまる人物や、信号待ちをする女性たちの服装など、画面からは戦争の傷痕は感じられない。
昭和27年の銀座通りをステッキ片手に歩く男性は、中折れ帽にロングコート、そしてマフラーという装い、道路には路面電車の線路が埋め込まれ、そして通りかかったバンタイプの自動車も趣があり、小津安二郎監督映画のワンシーンのようだ。
同じく、昭和27年の晴海通りの地下鉄の入り口には、平台に商品を並べただけの新聞・雑誌スタンドがあり、店主はかっぽう着姿の女性だ。地下鉄のロゴがなんとも時代を感じさせる。
天賞堂の屋上から晴海通りを一望する写真には、多数の路面電車が行き交う様子が収められている。走る車がまばらなだけに、その存在感が一層引き立つ。
昭和30年に日比谷公園で催されたモーターショーの写真もあり、時代が進むにしたがって通りには車が増え、やがて路面電車も消え、昭和56年の晴海通りはバスに埋め尽くされ大渋滞を起こしている。
一方で昭和33年の写真には、大きな大八車を引く職人姿の男性の姿もある。
昭和20年代から30年代にかけての銀座は、大きな建物は多くなく、空が広い。地価日本一で後に有名になる鳩居堂のビルを撮影した写真には、その屋上から空に向かって近未来を思わせるテレビの広告塔がそびえている。
また、かつてあった有楽町の日本劇場(日劇)も何度も登場。掲げられた演目看板には往年のスターの名前や懐かしい映画のタイトルなどもあり、当時を思い出す人も多いのではなかろうか。
そうしたネオンサインや広告塔の変遷を見ていると、ある時期から自分の人生と重なってくる。
ほかにも昭和34年の皇太子ご成婚を祝う花電車(晴海通り)や昭和51年天皇陛下御在位50年を奉祝する神輿(銀座通り)、昭和39年の東京オリンピック時に速報写真で日本人の活躍を伝えるビルのショーウインドー、さらに通勤途中の新宿駅や中野駅とその周辺、著者の自宅があった西武線沿線などの写真も網羅。
これほど長きにわたって銀座を定点観測した記録は貴重だ。
(蒼穹舎 5500円)



















