あご勇さんが今のエンタメ界を憂う「“体を張れない”芸人も地上波バラエティーも遅かれ早かれ消えていく」
52歳で一度タレントに見切りをつけて営業マンとして働きました
──83年、26歳の時にコンビが解散状態になると徐々に下り坂を迎える。
実際にはアゴキンは今も解散していません。ただ、ギャラの配分や金造サンのムチャぶりに疲れ果てて、彼としばらく距離を置くことを決めました。芸人のダメなところだと思いますが、たくさん稼いでも、翌年に確定申告する税金とか一切考えないんですよね。しかも20代半ばでしょ?財布に100万円入れて、毎晩のように六本木や新宿で後輩と飲み歩いた。で、金造サンと仕事をしなくなってからは、千葉の実家に戻って、焼き鳥店やプールバーを経営していました。でも、ド素人ですから儲かるワケがない。結局、赤字続きで店は3年で閉めました。
──34歳の時に清水アキラと偶然再会し、清水エージェンシーと契約。月給50万円をもらい、披露宴費用200万円も貸してもらい、当時アパレル勤務をしていた妻の聖子さんと立派な結婚式を挙げることができたという。
アキラさんの事務所には8年間所属し、お世話になりました。91年にフリーになって、2002年に膝前十字靱帯再建という大きな手術をしてから仕事が減り始めたんですが、なかなか生活水準を落とすことができず、方々からお金を借りていたら46歳の時に借金が1000万円の大台に乗っちゃったんです。それで52歳で一度タレントに見切りをつけて、アトム電器という全国に加盟店がある関東支部のマエダデンキさんで歩合の営業マンとして働きました。最初は芸能人が訪問販売なんて、という妙なプライドがあって、本名の「鵜沢勇」で営業していましたが、玄関をピンポ~ンとやったら、“アレあごさん?”と雑談してくれる人もいましてね。やはり、このアゴには感謝しています。
──08年にはアゴキンを「あご&きんぞう」に改名して復活。
25年ぶりの復活で少し注目してもらいましたけど、東京・浅草の寄席に立ってもギャラは2人で6000円くらい。折半して、酒飲んだらもう赤字ですよ。金造サンが脳出血で手術したこともあって、静かに出番が減っていきました。