元参議院議員で「おもいッきりテレビ」などで活躍 日テレキャスター真山勇一さんは今なにを?
夫人に先立たれ、1人暮らし
28歳のとき、1歳年下のTBS勤務の女性と結婚したものの、八王子のマンションで1人暮らし。
「政界を引退し、これからは家内と2人で旅行でも楽しもうと思っていた矢先、家内は大動脈解離で突然、他界しました。家のことは任せきりにして、好きな仕事を思いっきりやらせてもらったので、とても後悔しましたね……。友人に『1人で暇だろう?』と言われますが、家事をして3度の食事も全部自分で準備していると、けっこう忙しい。主婦って忙しいんだなと思っているところです。家事の合間に週4日ほどジムに通い、新たにフルートを習い始めました」
近所に住む50歳の一人息子は、米国のエンジンメーカー「カミンズ」日本法人でセールスを担当。男孫2人はサッカーに打ち込む。1人暮らしでも、息子家族がそばにいれば安心だろう。
さて、1968年に日本テレビに入社した真山さんは、報道局で遊軍記者や政治部記者に。ニューヨーク特派員を経て88年、キャスターに転身し、「午後は○○おもいッきりテレビ」の“情報特急便”コーナーなどでニュースをわかりやすく伝え、人気キャスターになった。
「みのもんたさんはときどき本番中に居眠りして、アシスタントの高橋佳代子さんに起こされていましたが、本当にしゃべりがうまくて、勉強になりました。私は『NNNニュースプラス1』を担当していたとき、隣で一緒に司会をしていた木村優子アナによく怒られました(笑)。でも、“現場で取材し、自分の言葉で伝えたい”という気持ちが入社当初から強かったので、キャスターはやり甲斐がありましたね」
日テレを定年し、特別待遇で63歳まで在籍した後、政界入りした。
「『恵まれていてうらやましい』と周りから言われました。ジャーナリスト志望だったので、キャスター転身を会社から指示されたのは想定外。政界に入ったのも、たまたま知り合った現職議員の方から推されてのことで、自ら望んだわけではありません。好奇心が強く、想定外でもチャンスがあるならと挑戦したのがよかった。望んだ以上の仕事ができて、ラッキーな人生だったなと思います」
(取材・文=中野裕子)
▽真山勇一(まやま・ゆういち) 1944年墨田区生まれ。68年、東京教育大学(現・筑波大学)を卒業し日本テレビ入社。報道局記者を経て88年、「NNNきょうの出来事」キャスターに。「午後は○○おもいッきりテレビ」「NNNニュースプラス1」などに出演。2007年調布市議会議員に。12~22年、参議院議員を務めた。