杉浦幸さんには「2つの転機」が…「ヤヌスの鏡」主役デビュー、そして母親の死を語った
杉浦幸さん(女優/56歳)
1980年代の大人気アイドル杉浦幸さん。ターニングポイントになった「瞬間」は2つ。「ヤヌスの鏡」での主役デビューと母の死だという。
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大きなターニングポイントのひとつはデビューの時、85年ですね。当時人気の雑誌「Momoco」に一般の女の子が載るページがあり、友だちが応募する時に「一人じゃイヤ」と、私のことも応募してくれたんですよ。それが2月かな。
私はとくに芸能界に入りたいと考えていなかったのですが、雑誌に載ったら4月くらいの人気投票で1位になり、素人なのに表紙を飾ったんです。それで雑誌の方たちがプロダクション選びをしてくれて8月にはデビューが決まり、10月からドラマ「ヤヌスの鏡」の撮影開始。そこまでがトントン拍子で、人生の大きな分岐点でした。
■一緒に応募した友人いわく「別人みたい」
私を応募してくれた友だちは雑誌に載ることもなかったので、ちょっと気まずかった(笑)。「すごいねえ」「まるで別人みたい」と笑ってましたけど、私はどう接していいか迷いました。
デビューすることに母は「やりたいならいいよ」という感じでしたけど、父は猛反対。母が説得してくれたんです。母がいなかったら芸能界デビューはなかったので、私の人生に大きな影響がありました。
表紙になったり、ドラマのデビューが決まってうれしさはあったのですが、まだ10代ですし、知らない芸能界に戸惑いばかり。しかも、大映テレビのドラマは大好きで「スチュワーデス物語」や「不良少女とよばれて」を欠かさず見ていましたから、そんなドラマの主役に自分が決まったという感覚さえ持てていないんです。
撮影に入るとセリフを覚えるのとスケジュールをこなすのにいっぱいいっぱいの日々。ただ「頑張らなきゃ」という一言だけでした。それまでノンキな学生生活を過ごしていたから、仕事ばかりの毎日で余裕がなく、正直しんどかった。
翌年にかけてドラマがオンエアされ、歌でもデビューできて、どうにか仕事のやり方もわかり始めてからは、順調にやれていました。
■難病の母の死と舞台が重なって…
もうひとつのターニングポイントは近年のことです。2年前に母が亡くなったんです。芸能界入りを許してくれて、父を説得し、デビュー後はつねに応援してくれた母とは姉妹のように仲良しでした。私が仕事をやめたいと思った時期も支えてくれたから、ここまで続けてこられたんです。
その母が2年前の3月30日に亡くなりました。私は4月5日の国立劇場での舞台の仕事が目前でした。母が亡くなった日に頭が真っ白になり、覚えていたセリフが全部飛んでしまったんですよ。何も覚えていない状態になってしまって。
でも、スケジュールは決まっている。お客さんの前にプロとして、舞台に立たなきゃいけない。母は「人はこうやって生きていくんだよ」ということを背中で教えてくれましたから、私は「今を乗り越えたら、この先どんなことも乗り越えられるんだろう」と思ったんです。今がそういうタイミングなんだと。「切り替えなきゃ」とスイッチを入れ直し、舞台に立ちました。
30日に亡くなり、4月2日が告別式。「2日まではいっぱい泣こう」と決め、その翌日と翌々日に泣くのを一切やめてセリフを取り戻しました。結局は泣いていましたし、不安でいっぱいだったけど、なぜか5日の朝に「私、いける」と思えました。自分で自分を励ましていたんでしょうね。
周りの方たちのご協力もあり、その日の舞台を無事に終えられ、その瞬間に「これからは何でも乗り越えて生きていける」とわかったんです。母の死ほどつらいことはないですから。