神野美伽さん「笠置シヅ子さんのブギをヨーロッパに持っていけたら」
神野美伽さん(歌手/59歳)
演歌からジャズまで幅広いジャンルを歌いこなす神野美伽さん。8月には、コロナ禍前から取り組んだブギでステージを飾る。これからやりたいことを聞いた。
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今年でプロとしてデビューして42年目になります。あっという間でしたね。でも、考えてみたらやりたいと思ったことはこれまでほとんどやってきたと思っています。
振り返ってみると、「冬のソナタ」がブームになる前からTV番組の取材で韓国に行ったのを機に、1999年に韓国語のアルバムを出すことができたことは私の人生に大きな影響を与えました。
その後はニューヨークへ。次にジャズの世界に飛び込んでみたら、グラミー賞受賞アーティストや素晴らしいミュージシャンと出会うことができた。そして、着物を着てニューヨークで演歌を歌いました。そのことで、演歌を歌うことが私の一番の個性なんだって、改めて強く感じることもできました。そのおかげで仕事の幅が広がり、日本に帰ってきてからの私はガラッと変わったと思います。それからはジャズクラブで歌うことが多くなりましたね。ジャズのミュージシャンからオファーをいただき、コンサートではゲストボーカルとして私が入ったりすることも増えました。
そういう外国で歌う経験をしたことは日本の演歌にとってもプラスになる、すごく必要なことだと今も思っています。日本にいるだけだと、残念なことに、演歌はある程度、限られた年代の方だけが聴く音楽みたいになってしまっている。それは演歌が持つ大きな可能性を考えるとあまりにもったいないです。
演歌もそうですし、笠置シヅ子さんが残してくれたブギもそう。ブギは敗戦国となった日本がアメリカに憧れ、日本のジャズをつくりたいという思いで服部良一さんがつくり上げた音楽。私はこのブギにもっと可能性があると思っています。
■長年歌ってきた「落としどころ」として実現したい
ブギという音楽に関しては、6年前に初めて大阪で舞台を上演するまではまったく知らない世界でした。もちろん笠置シヅ子さんのことは存じ上げていましたが、お会いしたこともなければ、ライブを見たこともなかった。知っていることといえば「東京ブギウギ」など有名な3曲で、歌謡番組で歌ったことがあるくらいでしたね。何年も前に「ブギの舞台をやりませんか」とオファーをいただいた時も、最初は「どうして私が?」と迷いました。
初演の時は笠置さんに近づこう、近づこうと必死で。どんなふうに歌って踊っていいかわからなかったですからね。それでも歌い込んでいくうちに、ずうずうしいかもしれませんが、もう自分の歌みたいになって(笑)。ストンと自分の中に落ちてくる感覚があった。だから、8月にやる再演で楽しみなのは、歌がさらに変化していることと、笠置さんという人間像がより自分の中に入っていると感じることですね。それくらい厚かましくないとこの役はできないですね(笑)。
そのブギをジャズの本場といわれるアメリカではなく、日本の文化にも興味を持ってくれる人がたくさんいるヨーロッパに持っていけたらって考えているんです。これは歌い手としての私の楽しみでもあります。それを実現して、長年歌ってきたことの「落としどころ」として、人生を大満足で終えられたらって思っています。
こんな話は普段は心の中にしまっておくか、雑談で夢を語る時だけにしておこうかと思っていたけど、思い切って口にして、少しでも目標に近づけたらと。プロとして仕事で歌うことはもちろん大事です。その基本なしで夢を語れないけど、40年やってきた積み重ねがあるので、人との縁、それから経済的なものも全部きれいに「落としどころ」のために集約できればと思っています。
フランスとかイギリスとか、それも、どんな場所で、どんなふうにやるのかを、これから考えなきゃいけないですね。
海外でやってみたいという思いは由紀さおりさんの影響もあります。由紀さんもピンク・マルティーニとの出会いをきっかけに、歌手としての人生が広がったと思うんです。