藤島ジュリー景子氏が通った「西町インターナショナルスクール」の学費は青学初等部の3倍以上!
結局、芸能活動を断念。夢が破れたジュリー氏は中学を卒業するとすぐに米国に留学した。西町インターナショナルスクールに高校はない。一緒に付いていったのは父の藤島泰輔氏だった。母メリー氏は同行しなかった。
元々はフォーリーブスや郷ひろみのマネジャーを務めていたが、弟のジャニー喜多川氏を社長に据えながら、その頃にはすでに事務所の運営を一手に握る実質的なトップになっていた。
明仁上皇の学習院時代の学友として知られる藤島氏が東京・四谷で深夜営業のハンバーガー店を経営するメリー氏と出会ったのは1960年ごろ。6年後にはジュリー氏が生まれるが、2人は婚姻届を提出していなかった。藤島氏には別の妻がいたのだ。62年に俳人の高浜虚子の孫と見合い結婚していた。
72年には離婚が成立したが、藤島氏はすぐにはメリー氏と結婚しなかった。政治活動に熱心になっていた藤島氏が重い腰を上げ、籍を入れたのはそれから3年後。ジュリー氏は小学校3年になっていた。
「認知は遅れたものの、藤島氏は娘を溺愛していた」と同氏を知る元政治部記者は話す。