(2)50年付き合っているタモリが語る坂田明の凄まじい「突破力」
芸人というより、言葉でフリージャズをやる哲学者
大学を除籍された後、地元の福岡に戻っていたタモリは、ツアーで赴いた山下と出会う。山下はタモリの卓越したユーモアのセンスを見抜き、親交を持つようになる。その当時、トリオのサックスは中村誠一で、坂田に交代したのは1972年だ。タモリと坂田との出会いは、その3年後ということになる。
「新しいサックスが入ったって聞いてはいたけど、会ったら親方みたいな風貌で。こんなジャズマンもいるんだって驚いてね」
そう笑うタモリだが、初対面の際には坂田の前でほとんど黙り通していた。ライブが終わり、トリオのメンバーと街中に繰り出すと、タモリは突然、周りにある看板を中国語や韓国語風に読み上げ始める。坂田は腹を抱えて笑った。
「それまでおとなしく黙っていたのは演出で、その正体を隠すためだったんだろうな」
坂田は懐かしそうに振り返った。
だが、タモリの記憶は少し異なる。
「中村誠一は面白いことが大好きな人でした。その面白さを、新たに加わった坂田という男は分かってくれるか見極めがつかず、最初はおとなしくしていたんですね」
タモリの「面白さ」はナンセンスかつシュールであり、「ついてこられない人がはなはだしく、いっぱいいる」(タモリ)。
つまりはタモリの芸は人を選ぶ。笑い転げる坂田を見て、タモリは「この人は大丈夫だ」と安心し、一気に親しくなったという。
タモリは上京後、新宿・歌舞伎町にあったスナック「ジャックと豆の木」などを拠点に、坂田と楽器を持たない即興セッションを繰り広げる。阿吽の呼吸で大学教授やアナウンサーになり切り、寺山修司などの著名人の物まねを何時間も続けた。打ち合わせは一切なし。坂田は「お互い真剣に冗談をやっている。タモリは圧倒的にすごかった。芸人というより、言葉でフリージャズをやる哲学者だった」と語った。一方のタモリは、坂田を「ギャグも演奏と同じく、大胆で勢いがあった。勢いで壁を突破する力がすごかった」と評する。
「お互いに違うことを勝手にやってたという感じ」とタモリは言うが、2人は認め合い共存する関係だった。その根底にはある共通点があった。(敬称略)




















