近藤サトさん<1>「私も会社を選ばせてもらいます」と主張
1991年に入社したフジテレビで看板アナとして活躍。「FNNスーパータイム」など報道番組でキャスターを務めた。98年9月に退職。現在は母校の日本大学芸術学部の放送学科で特任教授に。40代後半から白髪染めをやめていて、エッセー集の「グレイヘアと生きる」(SBクリエイティブ)も話題だ。
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「出身は岐阜ですが、幼いころから東京・高輪にある親戚の家に遊びに行ってたこともあり、大人になったら東京で働きたいという気持ちが強かったですね。高校生のころは俳優さんもいいなと思っていました。派手な仕事をしてみたかったから。とはいえテレビっ子でしたから、映像の勉強がしたくて日芸の放送学科を選択。映画学科も受験していたんですが、監督コースは落ちてしまったんです」
就職活動はバブル絶頂期で超売り手市場だった。ただし、テレビ局は人気ランキングの上位にあり、中でもアナウンサーは激戦区だった。
「学生時代は出版社やラジオ局、テレビ局などいろんなメディアでアルバイトを経験しました。それで第1希望はマスコミ業界。アナウンサー試験はスタートが早かったので、4年生の5月ごろから受け始めました。当時は自分でテレビ局の受付に行って履歴書をもらって送付するスタイル。その後、局からの返信用はがきが来るのを待つわけです。この書類審査で数千人から500人に絞られるんですが、まさか、面接の知らせが来るとは思いませんでした」