(34)無言が喜ばれたり、言葉足らずで怒られたり…お客との「会話の呼吸」は本当に難しい
一度として親しく会話することはなかったが、私にとってはじつにありがたいお客であった。そんなこともあって、私はある新聞休刊日にその客のためにと思い、スポーツ新聞を購入したことがある。お客がクルマに乗り込んできたとき「一般紙は休刊ですが、お読みになりますか」とスポーツ新聞を差し出した。しかし「けっこう」と冷たくひと言。その後は目を閉じて、品川の会社まで無言だった。なんだか拍子抜けした気分のまま、私はハンドルを握りつづけていた。けれども降車の際「お気遣いありがとう」と小さな声で囁いた。“余計なお世話”をした私はその言葉に救われた気分だった。
ある日、お客の海外赴任によって、この不思議な関係は途切れたが、間違いなくビジネスパーソンとしては一流の人だったのだろう。決してタクシードライバーをバカにしているわけではないのだろうが、「世の中には変わった人がいるものだ。この人の部下は大変だな」と思ったものだ。
とにかく、何年この仕事をやっていても、お客との会話の呼吸はむずかしい。会社の規則通り、必要なこと以外無言を通していても、反応は同じではない。「運転手さんが静かな人でよかった。よくしゃべる運転手さんは苦手」と感謝されることもあれば、降車の際に「なんか怒っているのかと思った」といわれることもある。
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