枝野代表には説明責任がある<上>共産とは「理念」のどこが違う?
17日、立憲民主党の枝野代表は、総選挙で勝っても、共産党とは、「理念に違っている部分があるので連立政権は考えていない」と記者たちに明言した。
立民が総選挙で自公を過半数以下に抑え込んだとしても、準与党と言える維新が存在する以上、立民と国民で過半数を得ることは不可能で、共産を加えなければ過半数は取れないと考えるのが、今の情勢では常識的なところであろう。それに、枝野氏自身が言及しているように、共産党との候補者一本化(つまり選挙協力)なしに今の立民が大きく議席を伸ばすことなど考えられない状況である。
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だから、端的に言ってしまえば、枝野氏は、「共産党の協力を得て選挙で勝利したいが、その結果として政権を奪取できても、共産党は入閣させない。それは、共産党とは基本的な考え方で一部に違いがあるからだ」と言っているに等しい。
しかし、そんな虫のいい(つまりずうずうしい)話があるだろうか?
小選挙区を中心とする今の選挙制度の下では、自公の与党連合に対して野党全体が一つにならない限り政権交代が起こり難いことは自明である。
2012年に改憲草案を党議決定し明治憲法への回帰を指向する自民党と、明治憲法体制に歯向かって初代会長が獄死した創価学会の政治部として始まった公明党は、基本的な「理念」が異なり長年対立していた。それが今では臆面もなく選挙協力して政権を共有している。その結果が腐敗した権力の私物化である。
だから、今、多方面から、政権交代に向けた野党共闘が求められている。
それに対して、野党第1党の党首が、総選挙を前にして、「共産党には選挙協力を求めるが、その結果、総選挙で勝っても共産党は政権に入れない」と発言するとは、共産党に対して極めて非礼な話である。
だから、枝野氏は、排除の根拠として自らが指摘した「理念が違っている」とは、何がどう違っているのか? 自らの言葉で有権者に説明すべき責任がある。
その上で、共産党からの率直な反論もぜひ聞きたい。=つづく
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