KK擁するPL学園破って初載冠、岩倉(東東京)山口重幸さんが語る勝敗分けた「清原のバント」
山口重幸(岩倉・東京・投手兼4番)1984年春優勝
■夢が正夢に
1984年4月4日。甲子園に新たなヒーローが誕生した。甲子園初出場にして初優勝を飾った岩倉(東京)のエース兼4番、山口重幸である。
2年生のKK(桑田真澄、清原和博)を擁し、甲子園20連勝だったPL学園(大阪)相手に1-0の完封勝ち。先発した山口はその最強軍団をわずか1安打に抑え、マウンドで歓喜に沸いた。山口氏が言う。
「PLは桑田と清原がいて強いのは間違いないんですけど、前年秋の神宮大会で優勝しましたし、それなりにチカラはあった。決勝は『東京対大阪』というので盛り上がって、恥ずかしくない試合をしたいと。僕は楽天的な性格だから、決勝の前日は特に緊張しなかった。夜は1-0で勝つ夢を見たくらい。むしろ、優勝しちゃうんじゃないの? って感じで(笑)。決勝戦の試合前練習では、打撃投手をやってくれていた後輩の岩崎相手にバックスクリーンに放り込みましたからね。『デゴイチ打線』と言われて、迫力はあったんですよ」
岩倉は決勝までの4試合で、いわゆる強い相手をなぎ倒していた。初戦の近大福山(広島)は、85年ドラフトで西武に5位指名された岡田展和がエース。2回戦ではその年の夏にベスト4入りした金足農(秋田)、準々決勝は夏に全国制覇したあの石田文樹擁する取手二(茨城)を退けた。
「取手二に4-3で勝った時は自信になりました。最終回にサヨナラのピンチで三振に仕留めて完投勝ちしましたからね。それで準決勝が旋風を巻き起こした大船渡。チームとしても、PLとやるまでは負けない感じはありました」
そして迎えた決勝戦。前夜見た夢は正夢になった。物議を醸したのが、PL学園の4番・清原のバントだった。